悪夢



私が目を覚ますと、視界に違和感があった。

自分は布団に眠っている……その感触もある、しかし、土の匂いが近い。

布団から身を起こすと、泥だらけの大きな靴跡を見つけ、身を震わせた。

自分の枕のすぐ横に、真っ白いシーツを汚すように靴跡があった。


(侵入者だ)

しかも、足跡があるということは……ここまで来たということ……。

恐ろしさに身を震わせながら、明かりをつけることなく、侵入者を探し始めた。

足音を忍ばせながら廊下を行くと、またあの大きな足跡が一つ…。

素足の自分がいくつも入る大きな、大きな……。

そこから目をそむけるように更に行くと、台所に人影を見つける。

(いた……)

息を殺して、様子を窺う。

物取りか……それとも……。

月明かりにその男の横顔が照らされた。

30代後半の男……特に異常そうな様子はない……が、その手には光るものが握り締められている。

柄と刃の境がないそのナイフを、とても恐ろしいと思った。



ふと母親がその視界に入る。

(……ダメ!母さん!)

ナイフが母親の方をむく……と、考えるより先に体が動いた。

台所にあった椅子を持って、バリケードのように侵入者へと足を向けた。

壁際に追い詰めて、逃げられなくしようとするが、それはあっさりかわされた。

しかし、床に金属が落ちる音……彼がもっていたナイフは右手から放された。



ナイフを離す時に切ったのか、彼の右手からは、ぽたぽた……と赤い鮮血が落ちる。

その音がやけに響いた。

男は勿体無いとでもばかりに、血を舐め、傷口を吸う。

私は庇うように母親の前に立つ。

椅子を構える手が震えていた。

武器を失ったはずの侵入者だったが、おもむろに上着の内側に手をいれ……新たなナイフを取り出した。

月明かりを反射させて、私の顔にまぶしく当てられる。

彼の動きは素早かった。

間に合わないのと、恐ろしさから、襲い掛かる彼に向かって椅子を投げた。

しかし、男は瞬時に身をかがめてそれを避けた。

「母さん逃げて!」

振り返って、後ろにいる母親に叫ぶ……しかしそこにいたのは見知らぬ女だった。

真っ赤な口紅の女は、いやらしく口の端を上げ、男に「やれ」と告げる。


(殺される…)

男のナイフが自分に向けられ、ゆっくりと迫った。

全身から嫌な汗が噴出すのを感じながら、私は目を閉じ、体に食い込む刃の感触を待っていた。



乱れる息を必死で整えながら、辰巳和華は必死で思案した。

(夢……今のも夢だ)

闇の中、目を凝らして置時計を見れば3時45分。

(また悪い夢……さっきから30分も経っていないのに…)

昨夜寝付いてから、悪夢にうなされたのは2度や3度ではなかった。

一体何度目か数えようとして、彼女は不毛だとばかりに小さくため息をついた。



眠っても、眠っても悪夢が襲いかかる。

何度でも、何度でも。



眠るのが怖い……と、彼女は自分の体を小さく丸めた。

(またあんな夢を見るくらいなら……)



彼女のすぐ隣から、規則正しい寝息が聞こえてきた。


横にはこちらに背を向けて眠っている蛭魔妖一。

(彼はどんな夢を見ているのだろう)

……助けて、と手を伸ばしかけて、和華は思いとどまった。

なぐさめてほしいと思う……けれど……。

このまま彼に触れたら、彼にまで悪夢の連鎖が移りそうな気がしたのだ。



(それに、私が怖い夢を見るなんて、いくら万能な彼にもどうしようもないじゃない)

闇が彼女に孤独をさらに強く感じさせた。



突然背を向けていた彼がすばやく寝返りを打ったかと思うと、和華は抱きしめられていた。

「……寒いのか?」

彼女は、自分が震えていることに気づいた。

彼の温もりと優しい腕と彼の匂いに安心して泣きそうになる。

けれど、何でもないように振舞わなきゃと、彼女は必死に声を出した。

「……こ……」

「こ?」

できるだけ軽く冗談みたいに聞こえるように彼女は言った。

「…………こ、怖い…夢を見たんです。

 …子供みたいですね」

でも、もう大丈夫です。おやすみなさい、と続けようとする言葉を遮って彼が言う。

「…どんな夢だ?」

「…………」

彼女は黙った。悪夢を口にするのが憚られたから。

彼は、悪夢を思い出している間だと思ったのかもしれない。

思い出す必要がないくらい、彼女ははっきりと覚えていた。

彼が言葉を待っているのを知って、できるだけ客観的に話そうと、和華は重い口を開く。

「目を覚ますと、土の匂いがしたんです」

「……それで?」

「私の枕のすぐ横、白いシーツに大きな靴跡があって」

「……糞デブくらいデカイ奴か?」

「泥棒かと思って家の中を探したら、30代くらいの男を見つけて……」

「糞ジジイだな」



「も、もう茶化さないで下さいよ。

 その男はナイフを持ってて、それが恐ろしく光って……」

「糞デコとどっちが上だ?」

「……………ぷぷっ」

とうとう堪えきれずに和華は笑い声を漏らした。


「そ、それで…真っ赤な唇の女が、その男に命令して」

「体育祭の糞マネみたいにか?」

「ふふ…そんな美人じゃなかったです」

「……それで?」

「?」

「その夢のどこが怖ェってんだ?」



「……蛭魔さんにかかると怖い夢も形無しですね」


「さ。次はどんな悪夢だ?

 ナイフなんざ甘ェ。俺がデザートイーグルを試してやる」

「え〜私のマチルダ武術も活躍させて下さいよ」



何度も違う悪夢を見て、ホント怖くて起きていようと思った時、
H氏だったら……と考えたネタです。
これを思いついて眠りに入ったら不思議と怖い夢は見ませんでした。
夢にギャグという分類があるかビミョウですが、
その後はわりとコミカルな感じの夢をいくつも見たような気がしてます。

……う〜ん。ご利益?


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