新規ページ003
-プロローグ-
普通、という言い方をするなら。
普通、はいつだって私の敵だった。
普通、に学校に行けなかった。
私は普通じゃないんだ。
普通、にできない。
それでも、いつだって「普通」を求めていた。
普通、と、私。
妥協できるとこ、探して歩いてきた。
スーツの色は黒。
フォーマルなデザインのバック。
ヒールのある、黒パンプス…………に、プラスして、
15センチのヒール。
それが、小さな私と黒板と教育実習生の体面の妥協点。
兄さんが、最初の10分我慢、と言ったのは、
きっと校長先生の話だ。
生徒たちは全然聞いてなくて、
まるっきりわたしの高校時代とかぶった。
それでも、さすが普通科。
工業科育ちの私にはまだまだ甘い光景に見える。
見ぬふりで、動かない他の先生方は、私をうずうずさせる。
それでも、10分は我慢した。
きっと、これが正しい選択。
「あの、私、最初に挨拶させてもらっていいですか?」
ずうずうしい私の申し出に、
先生の中には、露骨にイヤそうにした顔もあったし、
また、これ以上悪化させるなよ、という顔もあった。
大丈夫。
私は彼女だから。
こういうのは得意。
舞台裏に一度下がり、自分の出番を待つ。
そこには、部活で片付け忘れたのか、一本の竹刀が転がっていた。
私は思いついて、竹刀を手に取った。
マイクごしに、教育実習生としての、私の名が呼ばれた。
-登場-
「このクラスを担当する『辰巳和華』先生です」
担任が紹介するまでもなく、すでに彼女の名は知れ渡っていた。
全体集会で、似てねぇモノマネをやった女。
あだ名、やっくん。
携帯から、キル○ルのテーマをマイクで流して、どこから持ってきたのか竹刀をふりまわした。
黒いジャケットの大きな襟から、赤紫のスカーフを出し、遠目にはセーラー服のように見えた。
ご丁寧に壇上に立った後で、綺麗にくくってあった髪を、派手に外してみせた。
栗色の、カーブがかった長い髪がふわりと揺れた。
周りは唖然として、釘付けとなった。
しかし、注目が集まった途端、彼女はさっきまでの強攻が嘘みたいにフツーに挨拶をはじめたのだ。
肩透かしをくらったような気がする。
「初めまして。辰巳和華といいます。日本史を担当させていただきます。ふつつかものですが宜しくお願いします。」
周りはさっきみたいな蛮行を期待して、凝視している。
もしも、ここまで計算して行動していたのなら、なかなか侮れないヤツなのかもしれない。
一応、手帳を開くと名前をメモしておいた。
「何か質問はありますか?」
「先生、カレシはいますかぁ?」
一向に何も起きないことにじれて、女生徒が手を挙げる。
「背は高くて〜目は切れ長の黒目。
顔は玉木○に似てて〜声は低いんだけどよく通って、
頭もいいんですよ、それでいて力持ちで〜
……えっと、
カレシはいません」
担任まであさっての方を向いて笑いをこらえていた。
辰巳和華、妄想癖アリと書いて手帳を閉じた。
-取引-
1日目は情報収集。
それが1番。
名前も顔も。
それができなきゃ始まらない、そう決めていた。
帰りのHRの見学に教室に行ってみると、生徒たちは既に帰り始めていた。
「ええ?HRないんですか?
このクラスだけ?」
佐久間さん(さっきカレシの質問した子だ)に尋ねてみる。
「早く部活やりたいヒトがいるから、ウチだけないんですよ」
「そうなんだ。
みんなの顔覚えたいから写真撮りたかったんだけどなぁ。
そうだ、誰かクラス全員の写真もってそうな人いない?」
佐久間さんは苦い表情をして、念を押してから教えてくれた。
「……ぜったい私が言ったって言わないで下さいよ?」
まだ他のクラスはHRをやっているから、部活自体は始まっていないはず。
佐久間さんに聞いた場所へと向かった。
他の部活とは切り離された場所に立派な部室が立っていて、横には何故か犬小屋まであった。
少しびくびくしている自分を振り払うかのように、扉を開く。
「こんにちわ〜」
部室には一人だけいた。
キーボードを叩く手は止めず、顔だけ私の方に向けた。
金髪とたくさんのピアスが少し揺れる。
「ノックなしか糞教師」
「!………えっと心のノックを」
「何か用か?」
「えっと……早くクラスみんなの顔と名前を覚えたくって、
……蛭魔さんでしたっけ?――写真を持ってるって聞いたものですから。」
「……」
彼は興味なさそうに再びパソコンに向き直った。
少し、考えてる風に見えたので、待ってみる。
「……取引」
「……………トリヒキ、ですか?」
「うちの部の顧問やれ」
-手帳-
取引」を口に出したのは、どこか破天荒なこの女に興味を持ったからかもしれない。
同時に、どこか偽善者ぶった彼女が気に入らなかったから。
「取引」の条件に悩む姿を見て、俺は少し軽蔑していた。
偽善者ぶってたって、結局は自分の都合のいい、悪いで決めるしかない。
ていのいい断り文句でも考えているだけだ。
頭でそう考えながら、パソコンでは脅迫手帳のネタを探していた。
彼女の中学、高校の成績が表示される。
「…?」
高校は、まあフツーだが、中学の成績がひどすぎて驚いた。
それになんだこの出席日数…?
ともかく、「取引」から「脅迫」へと思考が移る中、先に手帳を開いたのは彼女の方だった。
ためらいなく、こちらに広げて見せてくる。
「えええええと、申し訳ないんですけど。
私1日4時間は寝ないと、次の日ホントダメで。
初日で弱音吐きたくないんですけど、
「実習」ってすごくきついらしいんですよね…。
いろいろ準備はしてきたんですけど。
なので、放課後の練習全部はちょっと厳しいんですけど…」
「休日はできるだけ頑張ります、……から
それでいいのなら…」
まっすぐな目に見つめられ、俺は何故か言葉をつまらせた。
「――顧問たって、教師の名前があった方が都合がいいだけだ」
やっと吐き出した言葉は普段見せない切り札的本音で、自分自身で少し驚く。
「わ!顧問ができるなんて、思ってませんでした。」
甘ったるい彼女のペースにのせられたみたいで、切り捨てるように彼女の欲しがるものを投げた。
取引、なんて忘れて、プレゼントをもらったガキみたいに笑っている。
「ありがとうございます!」
大袈裟に喜んで、クラスメイトの名前や写真、その他の情報が書かれた冊子(なんのことはない、過去のクラス文集やらをつぎはぎしてあるだけ
だ)をめくっていった。
単調にぱらぱらと、めくりながらも、彼女が確実に何かを探していることも分かった。
気づかないフリを決めこんで、キーボードを叩く手はとめない。
すると、一通り見おえた彼女は、俺の正面に立った。
そして、悲しみに歪む顔をそのままに
「あなたが書いてありません。」
と笑った。
返す言葉も、声も。
見つからなかったからガムを膨らませた。
答えられないように。
彼女はオレの顔色を窺って、それでいて、何だって聞かない頑固者みたいに眉をつり上げている。
そして、俺の正面に座ると、レポート用紙を一枚取り出し、クラスの名簿と見合わせて、たぶんオレの名を書いた。
「出席番号は××……
読み方は……ヒルマ ヨウイチ」
彼女は再び、ぱらぱらめくり始めた。
他の生徒にはどんな情報があるか、それを確認したのだろう。
「よし」
気合を入れるようにつぶやく。
人の何十手先も読んでいるつもりだった。
けれど、肝心の、たぶん。
次の一手で崩された。
「最初に、私は何部の顧問になるのか教えてもらっていいですか?」
-情報-
「……さ、気を取り直して!
誕生日はいつですか?」
答える代わりにガムを膨らませてやった。
教師に対する無視、
結果パターンは結局二つだけだ。
1、「めげる」か
2、「めげない」か。
そして、
どっちにしろ、無視という関係改善は望めない。
もとより関係を拒否するからこそ無視という行為が生まれるのだが。
こいつはどっちだろうか。
薄く横目で確認してみる。
……気づかない。
「誕生日を教えてくださ〜い」
……気づいた?
「……」
首をもたげ、彼女はうなだれてみせた。
――ほらな。
パターン1、そう記して終わろうとするのを彼女の声が止めた。
「あああ、分かりました分かりました。」
「礼儀、ですよね。
わたしとしたことが!
私は2月3日生まれなんですけど、
あなたはいつですか?」
パターン外の選択肢。
また、やられた。
「ちなみに、覚え方はタツミの『ツ〜ミ〜』で、2月3日です」
「…………糞ダジャレ教師」
彼女は「いつもだったらウケるとこなんですけど」と、顔を赤らめて照れた。
「じゃあ、身長はどうでしょうねぇ?」
こちらが答えないことを見越してか、彼女は椅子に座る俺の横に立った。
背比べをするときのように、右手を自分の頭から地面と並行に伸ばす。
「……えっと、身長……
140センチ、と」
「んなわけあるか!」
思わず銃をかまえ、彼女に突きつけた。
立ち上がって、上から彼女を見下ろしてやる。
「……!!
…私よりは大きいみたいですね」
彼女はもう一度、背比べの作業をしたあとで、レポート用紙に数字を記入しはじめた。
「――えっと……174センチ」
「ヒャクナナジュウロク!」
「――ハイハイ、176ですね」
彼女は笑って書き直す。
体格のことでむきになるのは俺自身が気にしているからか…。
腹が立ったことを隠そうともせず、俺は乱暴に椅子に腰掛けた。
仕返ししなければ気がすまなくて、俺も手帳を取り出した。
「辰巳 和華、……身長は?」
俺がパンプスのヒールを見ていることに気づき、彼女は少し後ずさりする。
「……え…と、160センチ……
…………今は……」
「辰巳和華−(ひく)160センチ = マイナス…………」
「いい、いいじゃないですか!別に!」
彼女は真っ赤になってうつむいた。
小声で、「…気にしてるのに」そうつぶやくのが聞こえた。
初めてこっちの土俵にたてた気がする。
これで、いつものペースだ。そう思った瞬間だった。
「……蛭魔さんこそ、名前かわってますよね。
――なんだかカッコイイ悪役みたいです」
気持ちを、落ち着かせなければならなかった。
尖らされた神経を奥底に隠す。
そんな事は、慣れているはずだった。
「オレの生まれたその日に母が死んだ。
オレが殺したんだと。
だからアイツがつけた。1番恐ろしい名を。」
予想外の答えはいつだって驚きが伴う。
誰だって、リアクションする回路ができていないのだから。
つまり、人間、理解できないことはまず驚きで。
それから、突きつけられた事実をゆっくり噛み砕きながら、1番適切な反応に持っていくのだ。
そう思っていた。
彼女は、確かに目を丸くはしたが、その直後、
机という境界線すら飛び越えてきた。
気づけば俺がとらわれた。
――甘い甘い檻の中。
「…………いいですか?
たとえ誰かがそう言っても、
あなたが自分自身でそう思ったとしても。
いつだって私が否定してあげます」
「そんなことない。
それは違います。
絶対正しくない
NO。」
細い細い檻の中。
ここにいてはいけないと、頭が警報を鳴らす。
やはり、予想外の出来事には驚きが先に出る。
だから、少し適切な行動が遅れただけだ。
その檻の中からは、
体を小さくかがめることで、一瞬で抜け出せた。
俺が抜け出したせいで、体勢が崩れた彼女はよたよたと机にもたれかかった。
面食らった感じの彼女に言い放つ。
「蛭魔妖一、ポジションはQB。
所属は……アメリカンフットボール」
-部活-
教育実習初日はまだ終わらない。
書類の整理、今日の実習の日誌の記入、研究授業に向けての方針など、和華がやらなければいけないことは山ほどあった。
そして、今日やるべきものを終わらせたときには、夕日なんてずいぶん前に沈んでしまっていた。
他の実習生たちと別れ、もう部活は終わってしまったかなと思いつつも、アメフト部の練習場のグラウンドに向かってみる。
担任に、「アメフト部の顧問を務めたい」と言った時のことを思い出す。
なんだか同情の目で見られた気がしたが……。
「ワカちゃ〜ん、さよならぁ」
他の部活帰りの男子生徒が、からかい半分に手をふる。
「さよならぁ」
手を振ってから
「……!
センセをつけなさい、たまにでいいですからぁ〜」
もう一度、遠くから「センセ、バイバイ」と聞こえた。
彼女がグラウンドについた時には、予想とは異なり、まだ練習を続けるアメフト部員の姿があった。
夜の闇は、いっそうその場所を広く見せた。
グラウンドのあのちかちかする照明も、地面までは完全に照らしきれていない。
こんなに暗い中でしか、掴めないものもあるのだろうか……。
それは自分にはもう手に入らないものだと、和華は感じていた。
(ここは、私の知らなかった世界)
彼女には「部活」というものの経験がない。
病弱で、小、中学校を出席日数ギリギリで通してもらった彼女は、高校から勉強に励んだ。
友達も、遊ぶことも取り返すことも重要だったが、純粋に実力で認められたいというキモチが彼女を学ぶことに走らせた。
今までの歩みを、後悔はしていないが、少し心残りに感じていた。
一つのことにこれだけ打ち込む、ということ。
だから彼女は、「部活」という同じ空気を吸えていることが嬉しかった。
何人かの部員が、近づいてくる和華に気づいて顔をあげた。
その中の一人、金髪頭と目が合う。
彼は練習を切り上げることをまわりに告げたようだった。
なんとなく、自分を待っていてくれた気になったが、きっと普段どおりの時間なのだろう。
でも、前向きにとらえることにして彼女は笑った。
見たこともない器具に興味をそそられ、視線ががちらばりそうになるのを抑える。
こちらが動揺すれば、それは相手に伝わる。
ことに、若い敏感な神経ならなおさらだ。
たくさんの目が自分に対して集まるのを、少し快感に、少し重く感じる。
ドラマに出てくるような、熱血教師のマネを想像しながら、口を開くと、よく通る声がグラウンドに響いた。
「え〜。今日からアメフト部顧問になりましたぁ、辰巳で〜す。
……え〜。
明日から、頑張りまっす〜!」
「あの変なヤツだ」と3兄弟はそろって反応したし、
「目立ってた、フゴッ」
「あ、やっくんの。」セナは思わず指をさして、そのままこそこそと指を引っ込めた。
「顧問?いきなり?」と誰かの影を感じる者。
「普通のヒトみたいで良かった〜」
「お、面白いセンセイね。」
「あがっていいぞ」
鶴の一声で、部員たちはそれぞれ引き揚げていく。
さて、どうしたものかと彼女が考えていると、マネージャーの姉崎まもりと目が合った。
器具を運ぼうとしているところに、和華も手をかすことにする。
「えっと、……タツミ先生?」
「はい、辰巳和華です。片付け手伝います」
「マネージャーの姉崎まもりです」
向かい合ってはいるものの、両手を器具で塞がっての奇妙な自己紹介。
それにお互い気づいたときにはどちらともなく、笑い声が漏れていた。
|