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-授業-
辰巳和華の評判は上々だった。
誰かを喜ばせるためにおどけてみせ、時に真面目な顔をする。
授業内容も、教師、生徒から賛否両論あるものの、賛同する者の数は圧倒的であった。
「……というのが『吾妻鏡』です。これはテストに出るかも。
っていうか私個人的に好きなので、出て欲しい〜」
「辰巳センセー『鏡』がつくのって他にもなかった?…国語あたりで。」
「……いわゆる四鏡でしょうか。大鏡とか?今鏡とか?」
「っていうか、ややこしいんだけど…」
和華は少し考えて、ポンと手を叩いた。
「あ、そうか。みんなはいろんな教科をやらなきゃいけなかったんだ。
何年か前に、センター試験の教科が増えたんだよね」
「そう。すげー迷惑」
生徒の誰かがつぶやいて、まわりの生徒も大きくうなづく。
「えっと……簡単にいうと、「歴史物語」なんですよね、四鏡は。
『吾妻鏡』は歴史書で…鎌倉時代を研究する上での基本的史料です」
教室に、更にいっそうハテナを浮かんだように感じて、少し後ずさりする。
「歴史物語?じゃあ嘘なの?『吾妻鏡』は本当のことなの?」
「嘘?」
一瞬眉をぴくりと震わせ、しかし何事もなかったかのように彼女は続けた。
「……………えっと、ここからはかなり私見ですが
………ちょっと授業脱線しま〜す」
「えっと、他で使おうと思ってたんですが、「歴史の史料」について分かりやすく四コママンガにしたものを配ります。
美術科の子に頼んで書いてもらったんです」
「おおざっぱな説明ですが、一次史料とは、その当時にかかれたもの。例えば、日記、手紙、古文書と言われるものです。
それに対して二次史料とは後世に書かれた編纂物などがあたります。
ものすごく極端な例ですが、『ご先祖様はお酒が好きだった』とひひひひ孫が書いた日記よりも、
「私はお酒が好きだった」と本人が書いたものの方が信用できる、ようなイメージです。」
「……えっと質問は歴史物語は嘘かどうか、でしたね。
『平家物語』知ってます?『吾妻鏡』の一部は『平家物語』を元に書かれているとする研究者もいるんですよ?
史料を扱うにはその史料を疑ってみるという、史料批判が必要です。他に史料がないのであれば、歴史物語に書かれた全てを「嘘」と決め付け
る
のではなく、書かれた一つ一つの事柄に対して調べることで見えてくることもある……のかもしれませんって長々とすいません」
「……………なんか暗記より、そっちの方が面白そう」
「高校じゃ、教科書覚えるだけだもんな…」
「…あはは。これが、なかなか大変で。例えば教授に意見を求められて発言すると、『その発言に関して、君が根拠とする史料は何か』って、必ず
聞かれます。
真実を求める。そこが私にあっているのかなぁとは思いますが…」
授業終了のチャイムが鳴る。
「えええええ……今日の分がちょっと残ってしまいました。
その部分は次の授業に「分かりやすくあいうえお作文」にしたものを配りますから勘弁してください〜」
また意味不明な言葉を吐く。
だが、「あいうえお作文」の言葉に惹かれている者たちがいるのも事実だった。
こうやって、また人を引きつける。
それが、教師としての彼女の作戦なのだろう。
(気にいらねぇ)
それがあいつに対する印象だった。
彼女……辰巳和華は、昼休みの時間も、なるべく教室にいて俺たちに接している。
いまや彼女を知らない者は校内にはいないし、その人気も高い。
「和華センセ、T大ってホント?」
「……え?そうですけど……
っていうか私がT大じゃおかしいですか?」
箸でウインナーを掴んだまま、質問の主に突きつけた。
「うん」
「……即答って。
ほら、ドラゴン桜読んでましたから」
「え?マジ?」
「……あれホントなんだ」
「わたし、推薦でしたけどね(ニヤリ)」
そのままウインナーを口に放り込む。
「ずりぃー」
「センセー要領よくね?」
「成績は……まあダメだったんですが、面接でやった『コント』がうけてね、それで………」
まわりは興味津々でうなづいている。……ったく、あいつに群がるヤツラも気にいらねー。
「でも、入ってからものすごーく大変でしたよ。
共通科目っていうのがあるんですが、英語力がまわりと差がありすぎて……」
姉崎まもりを『優等生』とするなら、あいつは『お調子者の優等生』。
しかもそういう仮面をかぶっているだけで、本心は見せない。
……簡単に掴めそうで実は掴めないんじゃないか…そこがどうも俺の神経を逆撫でするらしい。
気に食わないとはいえ、別に視界に入れなけりゃいいだけの話だ。
だが、ふとした瞬間に視界の隅に入ってきて、気づくと目で追っているのだ。
(やっぱ気にいらネェ)
その偽善ぶったツラをはずしてやりたくなる。
………ああ、だから噛み付いたのかもしれない。
あの夜の自分自身の不可解な行動。……急にあの感触がよみがえってきて、それを振り払うかのように視線を彼女からそらした。
「……先生、山名氏っていたの?俺の先祖かな?」
「おー勉強熱心ですね。
守護大名から戦国大名になったらしいですよ〜。
詳しくは聞かないで下さい。専門外です!」
「何そのあやふやさ〜」
「…あはは。室町以降はホント知らないんです〜」
「センセーめっちゃ広くない?それ」
「山田氏っていた?うちの家系かなぁ〜?」
「いや、山田は農民じゃね?名前的に!」
「えーじゃあ、センセの名字は?
辰巳氏っていたの?」
彼女の顔は見ていなかった。
だから耳の方に神経が集中していたのかもしれない。
突然、彼女の声が変わった、そう感じた。
「平安も末、源頼朝に従い挙兵する。
幕府成立に貢献したものの、頼朝死後の北条氏の政治の元ではひきたてられなかった。
一族の中心であった宗朝の死後、急速に衰退。
有力御家人が北条氏に排除されていく中で、北条氏と姻戚関係を結ぶことで生き残る手段とした。
その後若くして宗則が亡くなり、跡継ぎ問題に際し、北条から送られてきた跡継ぎに反発するが、合議のような政治形態をとることで、一応は丸
く収まった。
宗朝の頃から、農耕の神である星辰神を信仰し、戦いの時代の流れとともに、星辰を武神へとまつりあげるに至った。
偽りの……」
「うわ、さすが歴史のセンセ〜」
あいつは「えへへ」と笑ったが、目が笑っていないことは明らかだった。
「あ、ちょっと用事思い出しました。またね〜」
やや強引に、彼女は教室を出て行った。
妙な胸騒ぎがした。
-変化-
後を追いかけるように教室を出たが、彼女の姿は見当たらなかった。
ふと思い当たって、職員用の女子トイレに向かった。
気配はない。
ただ、人間が吐くにしてはおかしい声がした。
使用されているのは一つだけだ。
「……開けろ」
「大丈夫です」
一体、何が大丈夫だというのか。
普段と変わらない明るい声の後に、異常なうめき声がする。
もどしているのか、咳が止まらないのか、息を吸っているのか。
その全部が混在しているように感じた。
「開けろ」
「大丈夫です」
埒があかないやり取りに焦れて、震える拳でドアを一発殴った。
「鍵穴を銃でめったうちにして、ギャラリー呼ぶか?」
低い声で脅す。
「……来ないで」
初めて変化があり、震えた声が返ってきた。
「…お願い、大丈夫だから」
「開けろ」
彼女の懇願も、今の自分には届かなかった。
理由は分からない。ただ、この扉は開かなければならない。
そんな気がした。
「……ほっといてくださ…」
どうせこの学校中、銃声程度で驚くやつなんていやしない。
だが、サイレンサーをつけて、鍵穴をぶっ飛ばした。
扉を足で蹴ると、洋式の便器に突っ伏す彼女がいた。
こっちを見ようとしない彼女のあごをつかんで顔を上げさせる。
抵抗して、そうはさせまいと腕をつかまれるが、驚くほど弱弱しかった。
「来ないで」
肩で息をしていて、喘息みてぇに変な音がする。
もう一度便器に突っ伏す。
うめきながら、全身で震えている。
吐き気がおさまったのを見計らって、口元をぬぐってやった。
彼女が顔をあげると、油汗で前髪がはりついていた。
髪をかきわけてやると、長いカールした髪が揺れて、花の香りがした。
今の彼女の姿にあまりにも不似合いな香り。
矛盾している。青白い顔に花の香り。
そのギャップにどうしようもなく惹かれる。
………矛盾だらけだ。
彼女は両手で震える自分の肩を抱いた。相変わらず、一定でない呼吸をしながら。
「……空気の、吸い方が……わか、らない……」
彼女の左手を、自分の心臓の上に当てる。
どうしてそんなことをしたのか分からない。
こいつは、分からないことをオレにさせる。
指の先から血管が血を運ぶ音が聞こえた気がした。
不規則で、弱弱しくて、早い心臓からの音。
死ぬほど早いと思ってた彼女の心拍数が、自分と変わらないことに気づいて、俺自身も動揺しているのかと驚いた。
彼女に分かるように、大袈裟に肺に空気をいれ、ゆっくり吐き出す。
あいつは、俺に合わせて呼吸し始めた。
落ち着いた彼女はポケットから携帯を出すと電話をかけた。
一刻も早く俺から逃げだしたい、そんな風に見えた。
「あの…………1階の、職員用の……トイレ…」
遠くからパタパタとスリッパの音が響き、すぐに痩せた白衣姿の男が現れた。
確か、最近になって来た校医だ。
その男は、あいつが立ち上がれるように手を差し出す……その手が触れあう前に一言告げた。
「……ボクが何故怒っているかわかるね?」
彼女は小さくうなづく。
「どうして、もっと早く…」
男はそこで言葉を飲み込む。
「由さん、ごめんなさい…」
「ヨシ」さんと呼ばれた男は、あいつが歩けるように手を貸しながら、怪訝な目で俺を見た。
「君も来なさい、替えの制服があるから」
「ヨシ」は、彼女は支えたまま、器用に保健室の扉を開いた。
着替えのワイシャツを渡され、(ネクタイは無視した)保健室のカーテンの囲いの中で着替える。
もう一方の囲いの中では、校医として、彼女を診ているらしい。
そのまま出て行こうとすると、囲いから出てきた奴と目が合った。
右手には注射器、中は空。
……おそらく安定剤だろう。
手だけで「来い」と合図され、おとなしく従った。
気に入らない……が、聞きたいことがある。
保健室の向かいの給湯室に案内され、男は静かに扉を閉めた。
勿論、俺たち以外に人はいない。
「由弥(ヨシミ)と言います。校医でもあります」
断定的で、質問を許さない言い方だった。
「……アイツは?」
「彼女は落ち着いて眠っています、彼女の着替えもあるから問題ありません。
午後は休ませます、他の了解もすぐにとれます」
「用意周到すぎるなぁ」
かんぐりはあっさり無視された。
「……過呼吸か?」
由弥は少し考えてから言った。
「…………いいえ。過呼吸ではありません、それは確かです」
「一つだけ、教えてください。一体何があったんですか?
……誰かが嘘をついたとか?」
「こっちが聞きてーよ。
……平安末期の辰巳氏についてぺらぺらしゃべってただけだ………」
由弥は頭を抱え込んだだけだった。
どうやら、俺に事情を説明する気がないことは分かった。
「……あなたは、なぜ気づいたんですか?彼女の異変に」
「質問は、一つじゃねーのかよ」
乱暴にドアを閉め、その部屋を後にした。
うつむくと、真っ白なシャツが目に入った。
さっきあった事なんて、夢みたいに思える。
けれど、やりきれない気持ちだけはきっちり心に存在していた。
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