新規ページ007
-後半へのプロローグ-
精神安定剤を打たれたのだろう。
だから、こんなに穏やかだ。
浅い、眠りのとける予感。
遠い遠い記憶がよみがえる。
夢と現実の狭間。
そこで、私は『彼女』に重なる。
あれは、大巫女さまがまだご存命の頃。
父も、祖父である宗朝さまも元気だった頃。
弟は病がちだったが、よく笑っていた。
私は10になったばかりだった。
私が、「私」であり、名前を持っていた頃……
夕暮れ時、刀の稽古をしていると、ふいに大巫女さまが現れた。
私が地面にひざをつこうとするのを大巫女さまは制し、自分の隣をぽんぽんと叩き、こちらへ来るように促した。
実に恐れ多いことで、私は軽く会釈し断りの様子を見せてから、大巫女さまから一段下に正座した。
「大巫女さま。雨が、降らないってみんな嘆いてる。
儀式をやってって、みんな言ってるわ」
「子(コ)たちの仕事はね……雨を降らせる儀式をやることじゃない。
本当はね」
大巫女様は、いかにも「ヒミツ」を話すことのようにささやいた。
巫女たちは自分たちを「コ」と呼ぶ。星辰神に仕える子という意味であり、巫女となるときに「私」を消すという意味だ。
名前を失くし、神の子として仕える。それが星辰の巫女。
「でも、大巫女さまの儀式の後には雨の恵みがあるわ」
「そうさね……雨はどうやったって降るものじゃないのさ。天の気しだい。
次の雨の恵みまで、みんなを安心させる。雨の大切さを伝える。
それが子(コ)らの仕事なのさ」
「………東の空をごらん。ほら、あの雲の色、高さ。
もう、雨が降るよ。よく覚えておきなさい」
「……色?高さ?……
…ねぇ、大巫女さま。雨の匂いがする…」
前世から、いっきに時を進む。
私、辰巳和華がまぶたを開けた時には、保健室の消毒くさい匂いが鼻をついた。
ゆっくりと身を起すと、その匂いから逃れるべく、保健室の窓を開ける。
「……これが、雨…の、匂い?……」
空は、私の疑問に答えるかのように額に雨粒を一滴落としていった。
-検査-
「昨日はすいませんでした」
全然たいしたことのないことのように辰巳和華は言った。
勿論、教育実習中に早退する事がたいしたことではないことは分かっていた。
昨日、午後から彼女は体調不良による早退扱いとなっていた。
教育実習の途中で早退するという事は、ともすれば実習時間が不足となり、実習自体が認められない可能性もあった。
けれど、そこは兄が手配した実習校。兄の根回しが効いているらしく、特に何か言われるということもなかった。
………他の実習生からにらまれたのは事実だが。
「というわけで、今日のSHRは……抜き打ち持ち物検査〜★」
生徒たちから一斉にあがる不平不満の声に、彼女は「決まってるんだもの」と小さくなって答える。
「でも、昨日のお詫びにいいこと教えてあげます!」
間宮先生が、
単語の小テストをコピー機で刷ってました!」
とたんに生徒たちの顔が青ざめる。
英語担当の間宮の小テストは有名であった。
彼は合格点に達するまで、何日かかっても、生徒の昼休みをつぶしてでもやるらしい。
「点検終わったら、勉強した方がいいですよぉ」
言われなくても、という風に生徒たちは教科書を開き始めた。
やりやすくなった、とばかりに和華は微笑んで、机の上に出された生徒たちの持ち物をほぼ勝手にチェックしていく。
「他の何かに注目させてその隙に持ち物検査作戦」は、彼女の高校時代の得意技であった。
和華は、クラス委員を裕(ユウ)と共に3年間ずっとつとめていた。
持ち物検査は、プライベートを教師にのぞかれることもイヤだが、同じクラスメイトに見られるの事もイヤである。
また、検査自体はもって来てはいけないものを取り締まるわけだが、その一方で持ち物自慢会になる可能性もある。
「持ってきちゃいけないけど、俺こんなんもってるんだぜ」のような。
それらの問題点を解決できる方法として、彼女が編み出したのが「他の何かに注目させてその隙に持ち物検査作戦」であった。
没収した物を入れる紙袋を片手にさげ、名簿をみながら持ち物をチェックしていく和華は、少し困っていた。
(……一体何を没収すればいいのか分からない)
昨日、検査説明があったのかもしれない。
もともと自由な校風の学校だ、検査というのも教師が力を見せるためのカタチだけのイベントなのかもしれない。
彼女はそう解釈した。
「今月号まだ読んでないの。昼休みまで貸して」と女生徒から雑誌を受け取った。
自分なんて視界に入れずに勉強に励む生徒たちに、和華は少し油断していた。
朝から、決して目を合わせまいとしていた人物と正面から顔を見合わせてしまった。
彼女が「抜き打ち小テスト」なんて言う前から、問題を手に入れていそうな人物、蛭魔。
「ええっと、チェックさせて下さい」
すぐにカバンの中身に視線をそらすが、それでも動揺した心は静まってはくれなかった。
昨日の具合が悪くなった私を、彼はどういう風にとったのか。由(ヨシ)さんは彼に何か話したのだろうか。彼は誰かにこのことを言ったのだろうかと
か、だいたい「昨日の今日でキマヅイ」ことが多すぎるとか……。
ふいに机に置かれた、銃の嵐。
あまりに素直な反応に、和華はおもわず彼を見た。
もう一度、目が合う。
和華の反応を楽しむかのように、蛭魔は口の端に笑みを浮かべていた。
それが彼女の神経を少し逆撫でした。
今度は、彼女が口の端をあげる番だった。
ぽん、と何か思いついたように手を叩くと、今まで教科書とにらめっこをしていた生徒たちが振り向いて和華を見る。
「欧米か!……ですね。」
振り下ろした手はよけられたが、他の生徒たちには十分に受けた。
勝ち逃げみたいに蛭魔の横を去ると、後ろから銃が乱射される音が響くが、彼女は振り向かなかった。
当てる気はないことを核心していたから。
(良かった。自然に通りすぎたはず)
持ち物を没収すれば、彼と一対一で会わなければならない。
和華はどうしても避けたかった。
さて、持ち物検査のメインイベントが待っている。
最後尾の男の子たちがニヤニヤして待っている。
……もちろん、高校時代学級委員を務めた和華には、彼らの行動なんて分かりきっている。
和華が視界に入ったことを確認した彼らは、鞄から一冊の本を見えるように取り出した。
しかし、ここから彼女の予想外だった。
一人の男子生徒は、ニヤニヤしながら彼女の目の前で開いて見せた。
とたんに、反応する体。
「キャー!」
和華が気づいたときには、パンプスの先で本を蹴り飛ばしていた後だった。
蹴る、というよりは切った、という表現の方が適切なのかもしれない。
実際、風邪を切るような音とともに、そのエロ本は真っ二つに裂けていた。
「…………」
教室内に重たい静けさが漂う。
「……センセ、何者?」
和華は、何か汚いものに触れるかのように顔を背けたまま、二つに分かれたソレを回収した
「ほほほ他にもあるんでしょ、ささ、出して。」
大袈裟に顔を背けながら、彼らの前で紙袋を開く。
何冊か、紙袋に放り込まれた感触の後、彼女はため息一つとともに袋をとじた。
「……はぁ。
すいません、つい。
……空手技が。」
彼女の乾いた笑いだけが教室に響いた。
昼休み、彼女は職員室に向かった。
没収したものは、実習生から担当の教師に渡され、チェックを受けた後、実習生たちの手から生徒たちに返すことになっていた。
すでに他の実習生たちは、返却を終えたらしく、彼女の生徒たちも「早く早く」と待っていた。
少し慌てながら、急いで担当から没収物を受け取る。
紙袋から出されていく、彼女が読みたかった雑誌と、目をそむけそうになる本たち……そして。
あるはずのないもの。
「たたた、辰巳先生もやりますね…まさか彼から没収してくるとは……」
最後に一丁の銃が彼女に手渡された。
もはや名前など書かれていなくても持ち主は歴然。
長い足で扉を開けて、その人は入ってきた。
一瞬にして体をこわばらせ、女子生徒が、そして男子生徒が数人、書類にサインして受け取り、慌てて帰っていく。
「あ、私は用事があったんだ」
「あ、私も」
また、他の教師をはじめ、他の教育実習生も去っていく。
「………ここにサインしてください」
和華は、できるだけ事務的な声で言った。
しかし、彼は腕を組んで立っているだけだった。
「……昨日は、ご迷惑をおかけしました…」
「………」
「……な、なにか?」
「平安末期、源頼朝に従い挙兵し、幕府成立に貢献したものの、頼朝死後の北条氏の政治の元ではひきたてられなかった。その後、北条氏と姻
戚関係を結ぶことで排斥を逃れた。
まあ、ここまでは教科書どおりだとしてもだ」
彼女は、驚きで表情が崩れるのを止められなかった。
(教科書どおり?高校の教科書にそんなことのってるわけない。だいたい辰巳氏なんて名前が教科書にのっているかもあやしいのに……。だいた
い地方史研究の論文を二つ三つ読まなきゃそんな結論に達するわけないし、……それとも昨日の私のセリフを繰り返しただけ…?)
彼女の淡い期待はすぐに打ち消される。
「その後若くして宗則が亡くなる?北条から送られてきた跡継ぎ?
ウソはいけねーんじゃねーか?」
「ウソじゃありません!」
「ウソ」という言葉に反応して、思わず言い返したが、すぐに閉口した。
一体彼が何に興味を持ったかしらないが、辰巳氏に関する論文を読んだことは明白だった。
「ああ、昨日史料について熱く語ってたよなぁ。一次史料と二次史料。
平安末期から、鎌倉時代の辰巳氏。『吾妻鏡』『平家物語』エンケイ本もそんなに詳しく記してねーよな。てめーの発言は一体何を根拠にしてん
だ?」
答えに迷って和華はうつむいた。
まさか史料に関する話まで持ち出されるとは、もう、どうごまかしていいのか彼女には分からなかった。
さらに蛭魔は詰め寄る。
「ああ、まさか室町時代成立の家系図なんて信用してねーよな?」
「……」
「あれだけ史実、史実って。歴史の虚構にうるさい女が、史料がねぇ時代に自信満々で答えやがる」
「…………」
「何隠してやがる」
「何が目的ですか!マイナーな論文まで読んで!辰巳氏自身による史料が室町時代成立からしかないのも知ってるんでしょ?
……………私にかまうヒマなんてないでしょ………」
聞こえるか聞こえないかの小声にも、蛭魔は容赦なく返答した。
「あーそうだな。そんな時間もったいねー。
……だから早く吐け」
覚悟を決めて、ゆっくり、和華は顔をあげた。
じっと彼の目を見る。
ウソではない。そう信じて欲しくて、瞳を揺るがすことはしなかった。
つとめて表情を消す。昔の「彼女」がそうしていたように。
「……知っているから」
そうやって作った顔は、さながらよくできた能面のようだった。
「ハ?」
「……知っているから。
記憶があるんです。
平安末期に生きた辰巳の巫女の記憶が……」
切れ長の目を少し見開いた蛭魔に、強引に銃を押し付けると、そのまま何事もなかったかのように彼女は去っていった。
いつもより、重たく感じる銃だけが彼の手元にあった。
-終幕-
「今度こそ、ジエンドです」
勢いよく扉を閉めて、彼のいる部屋から去った彼女だったが、カラ元気はそこまでだった。
彼がこの部屋にいるという情報が流れたのだろうか、あたりに生徒も他の先生も見当たらなかった。
幸いだった、彼女は扉にもたれかかって、動けずにいた。
前世の記憶がある……
頭がおかしいと思われたか、宗教者だと思われたか、
関わらない方がいいと思われたか。
いずれにせよ、嫌われたには違いないと彼女は確信していた。
「誰かに嫌われることなんて、全然平気だと思ってたんだけどな」
敵も多いなら、味方はなお多く。それが辰巳和華のモットーだった。
高校時代、和華にはユウ以外に男友達がいた。
お笑い好きで、変な関西弁をしゃべる。(家系的には立派な江戸っ子らしい)
妙に波長があって、漫才コンビみたいだった。名前の響きが似ているから、ふざけて「若様」「殿様」と呼び合ったりした。
彼は「TOMO」という名で、ときどき雑誌のモデルなどもしていて、例えば彼女にはユウという番長みたいな不良の後ろ盾(まあ、怖い友達がい
る)
があっても、女の子たちの風当たりは強かった。
「近づかないでよね!」とか「彼女ヅラしちゃってさ」とか。
陰口をたたかれるとか、そんなところだ。
和華が気にしなかった、といえばウソになる。
けれど、最終的には、彼女には空手があったから、武力でこられてもやり返せるという自信があった。
私は彼女たちを軽蔑してたんだ。
好きなら好きになってもらえるように努力すべきだし、近づきもしないなんて考えられない。好きなら好きって言えばいい。何故いえない?……理
解
できない。
しかし、初恋を経験した今、「誰かに嫌われる」その誰かが特定の誰かになるだけで、こんなに怖くなるんだと。
人に嫌われても平気、だなんて自分の心の弱さを守るための柵にすぎない。
和華は、自分の愚かさを痛感していた。
そして、「失恋」を受け入れて、なお心に居続けるこの特殊な気持ち。
「なんでスキだって言わないの?」
高校時代の自分自身の疑問に今なら答えられる。
「言わないんじゃない……絶対に言えないんだ」
自分にいいきかせるようにささやいて、和華は歩き出した。
-修行-
「和華センセ」
突然降りかかった声に驚いた。
そこには、十文字、戸叶、黒木、三人の姿があった。
ぼうっと歩いて、一年生の廊下まで来てしまったことに和華はやっと気づいた。
時計をみると、昼休みも残りわずかとなっていた。
移動教室をする生徒たちの姿も見受けられる。
「どうしたんですか?」
なんでここにいるの?と問いかけられるべきは彼女だったが、和華はそれを聞かれる前に問いかけていた。
「………」
彼らは器用に三人で顔を見合わせた。
「いや、あの……その」
黒木が口を開くものの、歯切れが悪い。
和華は少し首を傾げてみせた。
「あああ、そうそう。」
思い出した、というよりは思いついたという感じに戸叶が助け舟を出す。
「和華センセ、空中キック決めたってホントかよ?」
「……え?……もうそんな噂が?」
「空手そんなに強えのかよ……?何段?」
「いえ、空手自体は初心者に毛が生えたくらいなんですが、少林寺を多少と…
あとマチルダ武術」
「はぁ?」
「……あははは、その反応ステキです」
和華は思わず声をたてて笑った。
「マチルダ武術?……露骨に名前が怪しい」
「そんなことないですよ、マチルダ武術は最高です!」
「人間って、目でみて、その情報が信号として脳におくられて、脳で対処方法を考えて、
また行動をおこすための信号を送る…普通はそうなんですが、
『反射』ってならいました?
脳を通さずに起こるもので、ひざを木槌で叩くと、びくんてなるみたいな。
マチルダ武術は、殺気に反応して、筋肉が反射神経で動くように訓練する武術なんです」
「ありえねー気が……」
十文字がそうつぶやくが、熱弁をふるう彼女の耳には届かなかった。
「道場の師匠に気に入られてね。
ひと夏の個人合宿で…………朝から夕方まで、リアルオニゴッコをさせられて…」
ほら、TVで賞金とかかけて元刑事とかが追いかけるやつ!
あれを、暗殺者となった師匠に狙われ続けて……」
そこまでつぶやいた和華は大袈裟に震えてみせた。
「森とかに逃げ込んで、ちょっと、ホッとするじゃない。
その瞬間に耳ギリギリで弓矢が飛んでくるのよ」
「ピアスの穴が〜みたいなね。はははは」
「……和華センセ」
彼女の乾いた笑い声を遮って、押し殺した声で名を呼ばれる。
三人がそろって腰を曲げ、しきりに周囲を気にしている。
一体何事かと、和華は首をかしげた。
「……まさか忘れてねーよな?」
残念ながら忘れている。ごまかすように和華はにっこりと笑った。
「なんでしたっけ?」
「…………テスト、だよ」
「こないだの勝負勝ったら、次の定期テストの情報くれるっていったじゃねーかよ」
無言で手を出す黒木、二人もそれに続いた。
「なーんだ、そんなことですか。お安い御用ですよっ」
和華はあたりをきょろきょろと見回して、一人の人物を見つけた。
「間宮センセー!」
露骨に嫌そうな顔をして間宮は来た。
彼が1年生の英語も受け持っていることは、彼女も知っていた。
「三人が、次の定期テストについて知りたいんですって」
「……はぁ?」
はもる。
「いや、和華センセ。そういうことじゃなくて、もっとこう秘密裏に……」
疑うような目で彼らを見た後、
「………まあ、勉強熱心なのはいいことだ」
「まず、過去完了がメインで、現在形や完了形との違いを理解しているかの文法問題。……それから単語テストで出来が悪かったものの復習問
題
も少々…」
あっけにとられる三人に対して、和華の方はきわめて笑顔である。
「……の範囲を予定している。……ところで、私に直接テスト範囲を聞いてくるということは……結果を期待していいんだな?」
間宮は、三人に詰め寄った。
迫力に押されて三人は反論できずにいる。
「……え、あの……」
「いいんだな?」
「…………ハイ」
「よろしい」
満足そうにうなづいた彼は、去っていく。
三人に残されたのは、納得のいかないもやもやとした気持ちだった。
「和華センセだましたなぁっ!」
「え?だましてないですよ?
ちゃんと『定期テストの情報を流した』じゃないですか!」
「…………くぅ」
「覚えてろよ!」
悪役みたいな捨てセリフを吐いて、彼らは駆けていった。
(これで、またアメフト勝負やってもらえるかも)
そう考えると、蛭魔に会わなければいけない、放課後の憂鬱さが軽減されていくような気がした。
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