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-雨音-





部室に資料の整理に戻ってきた俺は、彼女の黒いかばんを見つけた。

まだ彼女が校内にいるという証。

俺が帰る時間を見計らって取りに来る気なのか…。




隠しているものを見つけることは得意だった。

それはどこか不自然になる。


その不自然さに惹かれるようにして、口をあけたままのかばんを覗き込んだ。

そこには、新聞が顔を出しており、違和感に駆られて手に取る。

何のことはない、今日の朝刊だが……。



「あんまりいい趣味とは言えないですよ」

振り向くと、辰巳和華の姿があった。



俺の手の中にあるものが分かると、別に見られたってどうでもいいような、興味のないそぶりをした。


初日以外、特に二人だけになるととたんに不機嫌な面をしてみせる。

…………俺にだけ、だ。

元々八方美人の気がある彼女が、俺にだけ頬を膨らませて憎まれ口を叩く。




「ずいぶんキレーな新聞だなぁ」

勿論嫌味だ。一見普通の朝刊だが、それは、ところどころ黒く塗られている。

さながら墨で塗られた教科書だ。



「……ええ。毎朝兄さんが作ってくれるんです。

 最新のニュースは頭に入れておいたほうがいいって。」


彼女も刺々しく返してくる。


俺は、同じ新聞に既に目を通していた。

だから、すぐに黒塗りにされている部分の内容は検討がつく。


「殺人事件の容疑者がつかまり、明らかになった、その残虐な殺人の内容」

そんなとこだ。




「巫女様は悪がお嫌いなことで」

睨まれる。今日初めて目があった。



黒くはっきりした瞳は、かすかに揺れて、なみだ目に見える。

そうあっても、彼女自身の意思の強さが伝わってくる眼差し。



「…………私は、自分勝手な人間ですから。

 自分だけで精一杯なんです、他の人は救えない。

 救えないのに救いたがる……」



悔しそうに、そしておそらく無意識に口内をかんだのが分かった。

自分でも気づいていないクセなのだろう。



「自分が持てる荷物の限界も分からずに、全部抱え込んでそのまま自滅していくんです」



「だから、人の背負ってる荷物は見えないように、分からないようにこうやって隠してるんです」

彼女はうつむいたまま、新聞の黒塗り部分を指差した。

「……どうぞ、軽蔑してください」


そこまで言うと、彼女はプイと横を向いた。

泣くのかと思ったら、怒り出す……彼女の思考パターンはつかめそうでつかめない。


雨が屋根を叩く音がした。

降り出してきたのかもしれない。




「神龍寺に、入学を考えたとき。

 足を引っ張ったのは糞デブの足りねぇ頭じゃねー」


なんでそんなことをしゃべったのかは分からない。

気づくと、ヒトリゴトみたいに無意識に言葉があふれた。



傷の舐めあいをしたかったわけじゃない。断じて。



「阿含が俺をしらなきゃ。

 目をつけられなきゃ、全部上手くいくはずだった」



この偽善者ぶった女は何と答えるのだろう。

もしかしたら、それに興味を持ったからかもしれない。

……彼女の反応は、予想通りに「予想外」だった。

いきなり怒り出したのだ。



「だから、どうして断定した言い方なんですか!事実だけを、事実のまま話すんですか?

 かわいくないです、もうちょっとやさぐれた感じで、どうせ俺なんか…とか、そういう言い方だったら…………」

だったら何だというのか。

「………キライです!男らしくない!って言えるのに」



そこまで言ってから彼女は考え込んだ。

仮定法過去から導かれる事実が見つからずに困ったらしい。


IF ○○なら……××。

現実には○○ではないから、××ではない……?


思考の途中で、彼女の言葉が割り込んでくる。



「でも、三人がこっちに進んでくれなかったら、私はこうして会えなかったかもしれないでしょ?

 私は泥門高校でみんなに会えてうれしいです」

久しぶりに、面と向かって笑った彼女を見た気がした。

「てめぇは全く関係ねーよ」

釘をさすようにつぶやくが、彼女は聞いていないらしかった。

晴れやかに笑ったのはつかの間のことで、彼女は難しい顔をして考えこむ。


「…………阿含さんて、金剛阿含さんですよね。

 ……この間水町君を脱臼させた」


そこには、秘めた憎しみの響きが感じられた。

また考え込む彼女…



丁度いい。

試すことも含めて、手元にあったボールをとって投げつけた。



至近距離、しかも全くの死角からだ。


「!」


ボールは、後頭部にぶつかる直前で、振り上げられた右手に弾き飛ばされた。


「……!もう、何ですか!」


「…前世の記憶を、思い出させてやろうと思ってなぁ」

「……それは記憶喪失かなんかでしょうが!」

意外と速いツッコミ。


無意識だったらしく、少し顔を赤らめて「だいたい、記憶があるから困ってるんです……」とつぶやいたのが聞こえた。




彼女は腰をかがめて弾かれたボールを拾い、ふっとためいき一つ吐く。


「……でも、それもいいアイデアかもしれないですね」

そして、とがった部分を頭にこつんとぶつけた。


「…前世の記憶があるって言ったじゃないですか。

 ……でも、思い出せないんですよね。

 『彼女』の名前」


辰巳和華が『彼女』という時、それは前世の記憶の中を指しているらしかった。

腕の中でボールをもてあそびながら、つぶやく。



「『彼女』はもともと巫女の家系じゃないんです。

 むしろ、宗朝さまの直系で嫡子、いわゆる武家の跡継ぎ候補というか。

 でも、そっちを弟にゆずって、自分は星辰の巫女となったんです。

 星辰の巫女は、神の代弁者です。むしろ神そのものであるべきもの。

 神の子ですから。俗世の名前は不要。


 そして、名前も、喜怒哀楽の感情も、全部捨てた」


「……家系図は?」

知っているが、相槌のつもりでそう言った。

だいたい、史料的に家系図が扱いにくいものであることは分かっている。



「女性の名前まで記したものはほとんどありません。

 ……全部、調べましたが『彼女』の存在が確認できるものも一つだけで。

 名前は勿論ありませんでした。巫女となった時点で戸籍からも外されたし…」


「…………ちょっと悔しいんです。私が一番『彼女』を知っているはずなのに」

そう言って、彼女は空を仰いだ。

天井より先の、雨を降らせている空を見ている気がした。

沈黙の中、雨音が部室に響いている。



「……雨、降ってきちゃいましたね」

言うや否や、電話が震えた。


携帯のディスプレイを見た彼女は、少し俺の存在を気にして、それから電話に出た。


距離をとるように話しているが、俺には相手の話声もまるっきり聞こえていた。



「……はい。」


――近くで雷注意報が出たんだ。

「……そうですか」


――今車でそっちに向かっているところだ。

――あと10分ほどでつくよ。


「はい」


――万が一の時は、アレ…は持っているね?


「はい、あります。

 あ、……部室に一人生徒がいるんです。

 家まで送ってくれますか?」



――ああ、勿論。



「じゃあ、待ってます。ありがとう、兄さん」




目が合って、気まずい沈黙。


「……あの、兄さんが、雨が、強いから迎えに来てくれる…」



「いいえ、ごめんなさい。ウソはいけませんね。


 わたし、雷を聞いたことがないんです。

 昔、一度だけ光ったのを見たらしいんですが、その時死のうとしたんだって。

 ……兄さんが言うには、前世で雷にまつわる辛いことがあったんだろうって言うんですが


 …それで、それ以来、雷がなりそうになるとこうやって迎えに来てくれて。

 家の、防音の部屋に閉じこもるんです」




「ついでですから、蛭魔さんも送っていきますね。

 兄さんも一緒だし、……うん、問題はたぶんナシ!」

生徒と教師の関係を言っているのだろう。

確かに、教育実習中とはいえ一生徒だけを送っていくのは後で問題とされるのかもしれない。



しかし、神経を逆撫でされた気がした。

ガキ扱いされて憤慨する………それはやっぱりガキなのだろうか……。



「カギ閉め忘れんなよっ」

振り向かずにそう言って、逃げるようにして部室を後にした。

彼女が叫んだ何かは、雨音で消されていった。 



-戦闘-





夕焼けと闇が溶け合い、私の存在を霞ませてくれる。

しかし、じきに空には星がでる。

月も出るだろう。

そうなれば、やはり私は見張られていると思わざるを得ない。


だから、ため息は飲み込んだ。



早めに部活が終わったので、少しだけ街を歩こうなんて思ったのが間違いだった。

行き交う人は足早で通り過ぎていく。



どうして、私はこの人ごみを無視できないのだろう…

うつむいて、自分の向かう方向へ歩いてしまえればいいのに、私にはそれはできない。

意地と胸をはって、「どこかで会った人」はいないか、「私のことを知っている人」はいないか、いちいち確認せずにはいられないのだ。



……それは巫女であった時の性分なのだろうか?

神の代弁者であった『彼女』は、怒りは勿論、泣くことも笑うことも許されなかった。


神の感情の変化が天変地異を起こすと思われていたから、代弁者である『彼女』の感情の変化も許されなかった。


大巫女様はそんなに気にしなくていい、と言った。



でも私は昼は人々の目が、夜は勿論、星辰さまの代わりである月と星とに見張られていると信じていた。



その生真面目さの原因は、『彼女』が本来、巫女家系でないことへのコンプレックスか…。

あるいは、今の私にも通じる不器用さなのかもしれない。




あの人の着ている服は……あれは限定の時計……セールになってたバッグ……ああ、あの人誰かのお父さんに似ている気がする…




すれ違う人たちの情報……私にとってそれらは、明らかに容量オーバーで、消化できずにあっという間に気分が悪くなってしまう。

このまま進んではだめだ。


ひとごみから逃れるように、裏通りへ、暗い方へと進んでいき、

夕焼けが当たらなくなったところで、私はほっとしてため息をついた。


大丈夫、まだ星も月も出ていない。




大きく息を吸って、呼吸を整える。

ここで少し休んで、それから帰ろう。



そう決めて、私は天を仰ぐ。



ねえ、星辰さま……


今も昔も変わらない。

私は、神に願うことばかりです。




―時計の針を、戻して―

―私と彼の時を、同じものに―




……それとも、まだ高校生でイケるかな。

年齢詐称とか、可能かな……




私の思考をさえぎって、

両側をビルに挟まれた狭い通りに、男女の話し声が響く。



「だからさ……」


「……え〜」


断片的に聞き取れる会話は、こちらに近づいてくるにしたがって明瞭になる。


「……ホント?」

「マジだって……」




「……あ!」

二人の姿が見えたとたん、私は驚きのあまり声をあげてしまった。



男の方が、まず私を知覚し、それにつられるようにして女の方も私を見た。





そして、ほら。


背の高い男の方は……




「どうしたの?阿含?」


阿含の顔色を窺うようにしたが、彼はまっすぐ私を見つめたままだった。


「……どこかでお会いしましたっけ?」


上面だけの笑顔を向けてくる。

とたんに鳥肌が立つのが分かった。



「……いいえ」

体の、本能的な拒絶。

彼を許してはならない、そういってる。


だから、あふれる殺気を隠さず、視線と一緒に彼に向けた。


「ボクになにか用ですか?」


誰かが、『金剛阿含は最強の悪』だと言っていた。

その意味が今なら分かる。


「ええ。」

これも巫女として本能的に感じるものだろうか…。

……私は彼に立ち向かわなくてはならない。


「ごめん、用があるんだ。

 また今度ね」

半ば突き飛ばすように、彼女の腰が押される。

「ちょっと、自分で引っ張り込んどいてどういう……?」

彼女の反論は、サングラスから覗いた阿含の目によって遮られた。

……そう、それが彼の本性。


「……!」



逃げるように去っていった彼女の後ろ姿が見えなくなった。


「で、二人きりになって何したいの?オジョーさん」


「……私はデビルバッツの顧問をしてるものです」


途端に、サングラス越しの彼の視線が見下すものとなる。



「あのカスチーム?」


「推薦入学の件、聞きました。

 3人の友情に嫉妬したんですよね?」





「ははっ!
 
 蛭魔とかいうカスが泥門にいったのだって、友情なんかじゃねえ。

 雲水とのレギュラー争いにびびっただけだろ」



「ああ、ふられちゃったんですね?蛭魔さんに」



「!!!」


拳を握ったのが見えた。

腕に浮かぶ血管は太く。

筋肉のまわりにしっかりと張り付いて守っている。



どれも、私にはないものだ。


「なに?俺に殴られて、出場停止にしろって命令でも受けてんのか?」



「……いえ、殴られる気はありません。

 敵討ちです。……そうですね。」


ちょっと考えるフリをした。


「例えば、肩をはずされた水町君とか」



そういうと、私は右腕を差し出した。



勿論、挑発だ。



「最近のせんせいは、教育がなってないねぇ」


誰かが、阿含さんは天才だと言った。


でも、この状況なら。



少しは読める、彼の考え、そして動き。



・勝ったと思わせて、有頂天になったところで叩き割られるとか。

・水町君の名前を出したのだ、きっと、関節はずしは狙ってくるに違いない。



勿論、手加減はできない。



私は正規の空手の型で構える。



来る、そう思ったときには反射的に右腕が動いていた。

思考は全くおいつかないスピードで繰り出された手刀。


速すぎる!




とっさに右腕でガードするが、筋を切られ、吹き飛ばされそうだった。

なんとか、受けきった。

……しかし、ヒットしてからチカラ押しでぐいぐいと押される。



完全にバカにされていた。

私は慌てて、左腕をクロスさせ、体勢を崩すのは避けた。




けれどバランスをとろうと重心を低くしすぎた。


たっぷりチカラをためた左の蹴りが飛んでくる。

余裕たっぷり……そんな動きなのに私は反撃するヒマがない。


片手で受け止めるのは無理だ。


一歩後退して、蹴りをやりすごす。

蹴りを繰り出した、ということは慣性の法則により、自分自身に逆の力が加わる。

(寸止めが難しいのと同じだ)


彼の左足は、予想外の動きをした。

寸止めでもない。

しなやかに、左から右へと流されていた蹴りが、

一度、彼の体に引き戻され、そのまま私の顔面狙って突き出される。




……どういうバランス感覚なのか!

私は出来る限り後ろに飛びのいた。



一瞬でも、体の反応が遅ければ、私の鼻は……いや、顔面もひしゃげていただろう。



「……はぁ……はぁ」

思考をつかわない反射神経だけの私の戦い方は、長期戦向きじゃない。

だから一撃必殺しか狙わないし、それしかできないのだ。



「はぁ……はぁ……」

たったあれだけの短い間に、心も肉体も、悲鳴を上げている。

私の乱れる呼吸とは逆に、彼は笑みを浮かべていた。






「どーした、受けてるだけじゃカタキはとれねーぜ」




息が乱れるのをわたしは隠そうとしなかった。



「……そっちこそ。

 顔への攻撃を受け止めさせて、肩はずす。ばればれですよ?」


「………分かってても止められねーよ!」


今度は右足からの蹴り。



速い!


なんとか腕をつかってガードは間に合った。

しかし、骨がきしむ音がしたかと思うと、そのまま飛ばされた。



体を右にひねって、なんとか着地だけはできたが、

私は彼の姿を完全に見失っていた。



背中に鳥肌が立った瞬間、後ろ手にされ、左腕をとられていた。


「女の子に痛い目あわせる趣味はないんだけどなー」


そういいながら、がっちりときめられた左腕は、肩の関節だけ少しずつ動かされていく。

はずれそうではずれない…ギリギリのところで保たれる。

「痛くないフリなんかしちゃってかわいいね〜。

 でも、ほら冷や汗かいてる」



ざらっとした感触がうなじを這った。


声にならない悲鳴……それをなんとか飲み込んで、代わりにもがいた。


「ほら、俺の気が変わらないうちに、謝ったほうがいいんじゃない?」

……命乞いをさせて、てっぺんから突き落とすのだろう。



大丈夫、予想通り。



小さく、息を吸うと、あたしは腕をきめられたまま、強引に右に体をひねった。


「……なっ」

体をひねったそのまま、右腕の肘鉄を放つ。

右腕を突き出した振動で、左腕がぶらぶらとだらしなく揺れる。





痛みで目がちかちかする。

けれど、今が勝負だった。


一瞬だけ怯んだ阿含も、体をひねって避けようとする。

しかし、彼のバランスが揺らいだのを見逃さなかった。



右腕の肘鉄は下げ、左の蹴り。

彼が腕で作ったガードに阻まれる直前、私は蹴りをやめた。



何度も頭の中でしたシミュレーション、その最後を迎えようとしている。


「私の、勝ちです」


そう宣言してから、私は左足を下げた。


「……勝ち?」


「そう、私の勝ちです」


「……一度も俺に当ててもいねぇのに?

――その腕、抜けてんだろ?」



「私、利き腕は右ですから。右だったら負けでした」

私がそう言うと、金剛阿含は突然笑い出した。



「……はははははは」


彼の殺気が消えていく、と同時に張り詰めていた周りの空気も落ち着いた。

とたんに、関節がはずれかかっている左腕が痛み出す。

私は左腕を初めて押さえ、しゃがみこんでしまった。


「……まあ、俺相手にその程度ですんだんだ。

 奇跡には違いないんじゃねーか?

 『勝ち』は認めてやらねーけどなっ」


「……ハイ。

――よく考えたら、あなたに『勝つ』ことはデビルバッツが実現してくれるんでと思うんで。

今日のところは『引き分け』でもいいです」


よくこんな憎まれ口が出てくる、と自分でも思う。

状況は勿論私に不利でしかない。



「……………オイ……そこで

――何やってんだ?」



狭い路地裏に、誰かの疑問の声が響いた。

私は自由になる右手で、追い払う仕草をした。

「早く行って下さい。

 ……決着は試合で、ですから」


遠くから、小走りの足音。

ここで問題を起こすわけにはいかない。




「……ホントに勝ち逃げする気かよ?」


あっさり去るのかと思えば、金剛阿含は振り向いて聞いた。


「顧問とか言ったな、テメー名前は?」


「辰巳和華です」

もう一度、早く行ってと右手で追い払ってから、私は痛みにうずくまった。






「どうしたんだ?

 さっきの男は?」


なんでもないんです、作り笑顔でなんとか答えようと私は顔をあげた。


「…………」


私たちの視線は、からまって解けない糸みたいに泳いだ。




――ねえ、星辰さま。


――これは罰なんでしょうか。


――分かってます、通り過ぎた私の高校時代。


――それはヨーコちゃんと、ユウと、


――そして彼とともにありました。



「……和華!」


「お久しぶりです、トモさま」


場の空気を和ませるように、おどけて言ったが、どうやら効果は見込めそうになかった。




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