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-再会-
「お久しぶり違うやろ!」
どこか違和感のある関西弁に、私は思わず噴きだした。
体を前かがみにした反動で、腕が痛む。
心配そうに見つめるトモと目が合った。
「なんや、腕折れてんのか?」
「……大丈夫です、ちょっとはずれかかってるだけで。
今入れますから」
脱臼は、道場に通っているときに何度も見たが、自分で経験するのは初めてだった。
記憶の糸をたぐりよせながら、ビルの壁をつかって体を固定するようにする。
そのまま、元ある骨の位置を思い浮かべ、いっきに入れた。
懐かしい顔を見て安心したのだろうか。
体の力が一気に抜け、思い出したかのように左肩が痛みだす。
「待っとけ、今救急車呼ぶから」
携帯ボタンを押し始めた彼を、私は慌てて止めた。
「ま、まって!ダメ!絶対ダメ!」
「なんやねん!
……それにやられたん、さっき出てった男やろ?」
見られた。
その事実に私は顔をしかめる。
「……今部活の顧問やってるの。大会中だから、もめごとは……」
「…………」
真摯な彼のまなざし。本気で心配してくれているのが分かっているから、辛い。
トモと私は似たもの同志。
悪を許せないその気持ちも痛いほど分かる。
「……和華がいいんなら、いい!
でも病院はいくで」
「…………」
私が断り文句を考える前に、腰を支えて立ち上がらされる。
私の性格も、見透かされている。
一緒にいて心地よい人。
「………○○○○○」
うつむいて、声にはせずにアリガトウを言った。
-雑踏-
街は夜の装いを始めていた。
家に帰る者、夜の街に向かう者、
さまざまな方向に入り乱れる人ごみの中にあっても、その人物は十分に目立っていた。
人を掻き分ける…というか、彼が歩くたびに人々は彼に場所を明け渡す。
かすかに揺れる金の髪とピアス。
一見細見だが、服の上からでも鍛えられていることの分かる体。
何よりその鋭い眼差しが人を寄せ付けなかった。
彼が足を止めたのは、突如大きく道が開けたからだった。
金剛阿含。
アメフト選手なら誰もがうらやむ出来上がった体、反射神経、そして完璧な才能。
蛭魔には見慣れた顔だが、顔を合わせるのは久しい。
……珍しくツレは見当たらねーなぁ
そんな毒でも吐いてやろうと、彼が足を止めた時だった。
「…辰巳……和華……」
阿含の口から出たのは予想外の名前。
「……!」
蛭魔が顔色を変えたのを見ると、阿含は満足そうにうなづく。
試された気がして、眉根にしわを寄せた。
「…ん。
やっぱテメーの差し金じゃあねぇんだな、カス」
「……糞チビ顧問に用か?」
阿含はうざったそうに、裏通りの方を指し示した。
「そこの右。
面白ぇもんが見れるぜ?」
言うが早いか、とっとと去っていく背中。
胸騒ぎがする。
蛭魔は走り出したい気持ちを押さえ、なるたけゆっくりと足を踏み出した。
そして、ごく自然に、その路地裏を見やった。
横顔だったが、そこにいたのは紛れも無い彼女だった。
横の男に腰の辺りを支えられながら、ゆっくりと歩く彼女。
その男にためらいは見当たらなく、長年の恋人のようにぴったりと寄り添っていた。
大通りへ向かう、二人。
彼女が何事かつぶやき、顔を赤らめたまま伏せるのが見えた。
蛭魔は無意識に足を止めていたことに気づいた。
しかし、その事実に気づいても、彼はしばらく動けなかった。
-怪我-
トモには仕事が入っていたのを知ったのは、ヨシさんの病院でだった。
「……ハイ、行けなくてスイマセン。
スタッフのみんなに謝っといて下さい」
ヨシさんにお説教されながら、トモが携帯で誰かに謝っているのを小耳に挟んだのだ。
そこには、変な関西弁は含まれていなかった。
中にキャミソールを着ていたのは正解だった。
ヨシさんの病院に着き、わたしのケガを見たヨシさんは、トモの前だというのに問答無用で服を脱がしたのだ。
「……トモ、今日撮影入ってたの?」
「あああ!和華!
動かない〜!!」
鬼のような形相のヨシさんに、トモは多少引いていた。
「だいたい何ですか?
急に来て、脱臼した?
しかも自分で入れた?
腕をつるのがイヤだ?
外から分からないようにテーピングしてくれ?」
ご機嫌ななめのヨシさんに手をやいて、トモに助けてと視線を送ると彼の目が「早く謝っちまえ」と言っていた。
「ヨシさん、ごめんなさい。
でも私ヨシさんしか頼れなくて」
きつくテーピングを巻いていた手が止まる。
ヨシさんが頼られることに弱いことを知ってて、私は言った。
「…………」
おとずれた沈黙を破ったのは、看護士さんの声だった。
「由見先生、患者さんが待っておられますが…」
「ああ、今行きます」
ため息をついて立ち上がったヨシさんは、私の顔を見ずに言った。
「…………知ってると思いますが、脱臼はクセになりやすいですからね。
次やったら、お兄さんに言って、完全に治るまで監禁します!」
「ハイ!」
服を整えながら、トモの顔を見ることができずにいた。
「トモ、ごめんなさい。
撮影だったんでしょ?」
「いいんや、そんなん。
たまには休ませてーな」
そうやっておどけて言ってくれる。
「でも…」
「…………それで終わるモデルなら、それまでっちゅうことやろ?」
「……」
「でも、お代はいただかないと」
後ろから、首のあたりに抱きつかれる。
とまどった私が振り向こうとすると、密着した彼の体が音をたてた。
ぐぅぅ〜〜。
「…腹減った。なんかおごって」
-告白-
いちおう顔が知れている彼を気遣い、また半分は二人きりにならないために私たちはユウの店にいた。
「おお、なんやユウ決まっとるの〜」
「!!!」
懐かしい顔に、ユウの表情が凍りつくのが分かった。
「あいかわらずヨーコちゃんが大好きなんか〜?
ホンマに一途やな〜」
「……和華!
それ以上耳障りなこと言ってみろ…殺すぞ?」
「なんや所帯じみて丸くなった思うたら、つっぱっとるのは相変わらずかいな」
「……!!!」
持っていた包丁を取り落とし、ユウはとうとう耳を塞いだ。
「あはははは。なんかそのやり取りも久しぶりですねぇ」
私がそう笑うと、ユウは睨みつけてくる。
「……!
ああ、そうだ。仕入れ。
発注書!」
逃げるようにして裏に下がるユウを、私たちは手をふって見送った。
「なんや、ヨーコちゃんがいないとホンマ弱いなぁ
空手のオリンピック代表の名もないとる」
「ないとる」
ひとしきり笑った後、冷蔵庫からジョッキを二つ出すとビールサーバーからついだ。
「トノさま〜献上のビールでございます〜」
「おおお。これがビールかぁ。ワカもなかなかワルよのぉ」
「いえ、おトノさまほどでは…」
乾杯した後、主人のいなくなった厨房の冷蔵庫を勝手に空け、適当なつまみを出して飲み始めた。
酔いがまわってきたのだろうか、やっとトモの顔を直視できるようになった。
さらさらの茶がかった髪は少し長く、グラスを傾けるたびに寄せられる優しさを含んだ眉。
万人に好感を抱かせる瞳、その視線。
口を開いたのはトモの方だった。
「……卒業式、以来やな」
「…………そうだね」
私たちはやっと過去を見れた。
「……ごめんなさい」
「……ん。」
主語を言わなくても通じる会話。
「私ね、最近気づいたんだ。
あなたのファンたちが私に言いたかったこと」
「……」
トモは何も言わずに聞いてくれた。
「…見下してたの、私。
トモのこと何も知らないで、近くに行く勇気も、告白する勇気もないで。
私にイヤガラセしてくる理由がわからなかった」
「……」
「あなたのこと、みんな本気で好きだったんですね」
ふい痛んだのは左腕ではなかった。
もっと別の、もっと奥の……
「そんな謝らんといてーな。
フラレたのぶり返されて恥ずかしーやろ?」
卒業式の日、
「好きなんだ」
彼の、たぶん、純粋な告白を、
「うん。わたしも好きですよ!」
一刀両断したバカな私。
「……そういう意味でしかとらえてもらえないの?」
「和華はボクのことを好きだと思ってた。」
後悔しても、
遅すぎた。全てが。
「悪かったな〜。
ふられた八つ当たりやったんや…」
「……ごめんなさい」
トモのグラスが空になったのを見て、私は立ち上がった。
とたんに首に回された、腕。
「………?
今日二度目ですよ、それ」
「……ん。
どや?」
「……なんか、くすぐったいです。
恥ずかしい」
「そーやろそーやろ」
私の答えに満足したのか、トモは私を解放した。
「分かるか?
好きなオナゴにコレ3年間やられ続けたワシの気持ち〜」
「……!」
「仕返しや。
好きになってまうやろ?」
私は無言でうなづいた。
「おベンキョになりました、トノ様」
「うむ、それでよろしい。
この話題終わりな?
和華の望んだ通り、ワシらお友達」
再びいっぱいになったグラスを、ぶつけて私たちは乾杯しなおした。
「……で?
なんや顧問とかいっとったけど?」
私は泥門高校で教育実習を始めたところから話し始めた。
-救助-
私は左手首に包帯を巻いていた。
昨日の阿含さんとのやり取りで、一番の負傷は外れかかった左肩だった。
しかし、着地の時にかるくひねって、左手首も痛めていたらしい。
(いい感じのカモフラージュです)
本当は生徒たちに心配をかけたくないし、怪我なんて知られたくない。
けれど、上げられない左腕はいつかバレてしまうかもしれない。
それで、「木を隠すなら森の中」をとることにしたのだ。
「うわ。センセどうしたの?」
「包帯とか巻いてるし」
私はにっこり笑って、昨晩練習した会話のやり取りを実行した。
「うん。ちょっと捻ってしまいまして」
ウソではない。それだけで事実かと問われれば迷うけれど。
「エロ本の呪いじゃね?」
「!
どーいう呪いですか!」
一瞬迷ったツッコミは、勿論右手から出た。
今日は、生徒たちの要望で午後からは「調理実習」一色となった。
HRと、家庭科。それに歴史も加わって、3時間ぶっ通し。
実習には、他教科の授業見学も含まれる。
自分の担当である歴史の時間は、私も参加することになっていた。
授業の雰囲気壊さないように、静かに教室の扉を開く。
中はすでにいい香りがし始めていた。
やわらかいオレンジ色のテーブル。
火のついたコンロ、何口もの水道。
何人かの生徒たちが、作業の手を止めて私を引っ張りに来た。
制服の上からつけられたエプロンが初々しい。
彼らを制して、とりあえず私は家庭科の斉藤先生に挨拶にいく。
「辰巳です、宜しくお願いします」
「こちらこそ、頼りにしていますよ」
斉藤先生は白い歯をみせ、少年みたいに笑った。
短く切りそろえられた髪に、健康的な色の小麦色の肌。
私の中の「家庭科の先生」は世間でいう姑みたいなイメージだったが(スイマセン)、それを見事に覆された。
……なるほど、生徒たちが熱心に参加しているのが分かった気がした。
「斉藤センセ、中火ってこのくらいでいいの?」
「もやしのひげってどこまで?」
「塩とか、少々ってどんだけぇ?」
あっちから質問、こっちからも質問。
今日の高校生たちは普段料理なんかとは無縁なのかもしれない……
……私自身がそうなように。
斉藤先生はかなり忙しそうだった。
「これ、今日のレシピ。
とりあえず、テーブル回って手が足らないとこに……」
最後の方は、生徒たちの声で遮られた。
レシピを受け取り、指示通りテーブルを回る。
「辰巳センセ〜耳たぶくらいってこれくらい?」
「ええええ?私?」
斉藤先生の手が足らないからか、質問の矛先は私にまで来た。
「こ・れ・く・ら・い」
自分の耳たぶを指差してごまかす。
デザートは班ごとに好きなものを作ることになっていた。
女の子たちは気合が入っているようだ。
ふと見れば、包装紙やプリント入りの袋なども置いてある。
(…なるほど、これで気になる男の子にプレゼント!ってことですね)
とりあえず、班ごとに何を作っているのか聞いてみようと思い、そのテーブルを離れようとしたときだった。
「……センセ昨日見ちゃった。」
ほんのり茶色の生地をこねながら、小声でささやかれた。
私にだけ聞こえる声でである。
「……何をですか?」
極力笑顔で答える。
「もう!すっとぼけてぇぇ!
カレシと歩いてたじゃん!」
歩いてた……ということは……。
阿含さんではない、ことに気づいて私はほっとする。
「トモダチですよ。高校のときの」
「えええ?雰囲気ちがったよ?
……かなりスクープだと思ったんだけどな〜」
そういって、彼女は携帯を取り出し写真を見せる。
そこには、トモに支えられて歩く私の姿があった。
「消去〜!」
「ええええ!
……ますます怪しい……」
万が一、そんなウワサが立てば、迷惑がかかるのはトモの方だ。
仕事をすっぽかせてしまった上、こんな写真が出回ればタダではすまないだろう。
「やっぱカレシ?」
「もう!違いますってば。
カレシって言うのは……心の中にいるもんなんです!」
「何その妄想!」
「えへへ。だってずっといないんですも〜ん」
女の子たちの「そういう」話題が出たときは、はぐらかすことにしている。
これは「そのいち」のネタだ。
話が切れたところを見計らって、周りの女の子たちに他の話題をふる。
女の子たちは楽しそうに取り組んでいるようで、安心した。
また彼女らを煽り、やる気のない男の子たちに向かって黄色い声援を送った。
「森く〜ん、包丁さばきがステキー」
「松井くんの洗ったお皿超キレー」
勿論男の子たちもワザとであることは分かっているが、それでも気分がいいらしく、露骨にテンションが上がっている。
「よし、特に退屈している生徒は見当たらないですね……?」
周りを見回すと、オーブンの前に一人立つ彼が目に入った。
エプロンと腕組みとオーブンと蛭魔妖一。
似合っていないようで、しっくりきているようで、違和感があるような…ないような…。
(……ここは、教師として彼にも一声かけておかなくちゃ)
そう決意して拳を握った、その時だった。
「辰巳センセイ、ちょっと」
「デザートに添えるいちごを切ってもらっていい?
ヘタとって、洗って半分」
早口でそう言うと、斉藤先生は生徒たちのテーブルに戻っていった。
そこで、質問ぜめにあっている。
私の目の前には、まな板、いちご……そして……
それは、鈍い光を放って私を見ていた。
(家庭科……調理実習、ときたら包丁を扱うに決まってるじゃないですか。
……私はどこまで考えナシなの…)
声が……聞こえる……。
―私は愛する人を守るために…
―それを、手に取ると…
―大切な人を失う。
―愛する人も失う。
思い出したくない記憶が湧き出てくる。
必死に抗うが、すでに視界がダークアウトしはじめている。
(逃げなきゃいけない)
……逃げる、ことは苦手だ。
立ち向かって砕ける方が何倍も楽だ。
しかし、失わないために私は今逃げなきゃいけない。
こんなところで、生徒たちの前でパニックになるわけにはいかない。
でも、どうやって逃げるの?
校内放送をつげるチャイム音が鳴った。
「……辰巳先生、至急保健室まで起こしください。
繰り返します…辰巳先生―」
驚いて、私は顔をあげた。
天の助けなんかじゃない。
生徒たちの後ろの方で、一人不敵な笑みを浮かべている者が目に入った。
「なんでしょうねぇ、授業中に。
辰巳先生早く行ってください」
「……はい」
つとめて自然に歩き、家庭科室の前の扉を開け……そして閉めた。
しゃがみこんでしまったのは、体の力が抜けたからだ。
自分の手が視界に入る。
震えているけれど、いつもほどじゃない。
「……逃げるが、勝ち……ですか」
吐き気もない。
乱れた呼吸は、少し休めばすぐにもどりそうだった。
バタンっ
ドアが閉まる音がして、振り向く。
家庭科室の後ろのドアから出てきた彼は、先ほどと同じ笑みを浮かべていた。
蛭魔妖一。
「糞新米顧問」
「ああ、間違えた。巫女さまだったなー」
言い返したいが、息を整えるのでやっとだ。
「刃物がもてねーオチとは、面白みに欠けるなー」
睨みつけたつもりだったけれど、視線にも力が入らなかった。
「……図星か」
「……さっきの校内放送、あなたの仕業ですか?」
「貸しな」
「頼んでません!」
ぷいと顔をそらされる。そのまま立ち去ろうとする彼。
「じゅ、授業は?」
「腹が、イテー」
「絶対ウソです!」
「……オママゴトなんかにかまってるヒマはねーんだよ」
投げられたビニール袋。
中身は……焼きあがったばかりのクッキー。
興味本位で、あつあつのそれを一つ口に運んだ。
「……おいし」
「あれ?辰巳センセ?」
「間違いだったみたいです」
家庭科室に戻ってきた私は、斉藤先生の問いに即答した。
勢いそのままに、告白する。
「斉藤センセ、すいません私、包丁もてないんです」
私は包帯の巻かれた左手を見せた。
「……ごめんなさい気づかなくて」
(……これは、ウソに入らないですよね…)
カモフラージュのための包帯がこんなところで役に立つとは……。
少しだけ苦笑した。
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