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-配達- 







教育実習生の部屋からも夕焼けが見えた。

実習期間も半ば、実習生たちの疲れも隠せなくなってきている。

一人、また一人と帰路につく者が増え、逆に室内は寂しくなっていく時間帯のはずだった。

「これ、渡してください。絶対匿名で!」

……これで5人目だ。




ワイロ?

それとも……?



既に私の鞄の中はお菓子が占めており、本来入るはずの教科書類が外に出されている。



授業後、女生徒たちの一部が「渡して欲しい」と、かわるがわるクッキーやらケーキやらを持ってきていた。

「誰に?」と尋ねれば、

周囲を見回し、私の耳元でコッソリとささやかれる。

『蛭魔 妖一』

(……モテるのか、ワイロか……。

 でも匿名じゃ気持ちが伝わらないじゃない。

 ……渡せればいい、自己満足ってこと?)


ただでさえ、どんな顔をして会えばいいのかわからないというのに……

私の断れない性格が、更に事態をややこしくしていた。



部活の後、いつものように生徒を送り出す。

(今日は、先に帰ってくれてるといいな…)

自分勝手な願望は、部室にともる明かりによって砕かれた。


深呼吸を一つして、心を硬くするイメージ。

何を言われても、問われても、揺らがないぞ今日こそは。



私は思い切ってドアを開けた。

「こんばんわ」


「……」

彼は、挨拶のかわりにガムを膨らませた。

どうやら不機嫌らしい。



とにかく、さっさと渡して帰ろう。

……ん?蛭魔さんを先に返さなきゃ顧問としてダメじゃない。

いやいや、今日だけはいいんじゃない?

左肩を見破られたらいい訳できないし……



そう思っていると、左肩に体重をかけられた。


「!……」

試されていたことに気づいたのは、肩を反射的におさえた後だった。


「包帯巻くとこ、間違ってんじゃねーのか?」

「……」

腕のケガは、既に見破られていたらしい。




「昨日糞ドレッドに会ったな」

「……偶然です」



「余計なことすんな」


「……ゴメンナサイ」




「……」

「それに、ちゃんと言ってきました。

 試合で勝つから、今日のところは引き分けで勘弁してやると!」


ほぼ返り打ちにあっていることは、伏せておいた。

見抜かれているだろうけど。

「……というわけで、しばらくアメフトの練習は辞退します……

 協力、宜しくお願いします!」


彼の目の前に鞄から取り出したお菓子たちを重ねていく。


「……なんだ、ワイロならもっといいもん持って来いよ」

「匿名ですが、渡して下さいと頼まれました」

彼はそれらを一瞥しただけで、すぐにパソコンの画面へと戻った。




「……蛭魔さんって……意外とモテるんですね」


率直な感想を述べたつもりだったが、声に含まれたトゲトゲしさに自分自身で驚く。


「……てめぇの作ったのは?」


「ああ、私ですか?」

座っている彼を見下ろす位置まで移動して、私はそれを取り出した。

「ハイ、これで今日の貸しはナシですよ

 お菓子だけに!」



「……うッ……」

さしもの蛭魔さんも顔を背けた。

はたして、寒いダジャレが原因か。それとも……。


「てめー、それ……」


「ほら、お腹がイタイって言ってたから。

 辰巳特製、正露丸クッキー★」

言ったとたんに銃を向けられたが、粉砕すると臭いが……と思ったらしく(見ていてとても面白かった)部室のドアを開けると、私のクッキーはケル
ベ 
ロスの小屋近くに投げられた。

悪臭を断つかのようにそのままドアは閉められたので、ケルベロスがそれを食べたかどうかは確認できなかったが。

「ああ〜。食べ物粗末にしちゃダメですよ」

「ほぉ〜。テメーの口に入れてやろーか?」

「……お腹イタイのは蛭魔さんじゃないですか。

 それに……」


「……」


「私はもうもらいましたから」

オイシイのを…と付け足そうと思ったが、悔しかったのでやめた。



「……ああ、貸しで思い出したナ〜」

ノートパソコンの画面を、私に見せてくる。

そこには、家庭科室で見せられたものと同じような写真があった。

画面が大きいせいか、今度は私とトモの顔も鮮明に映っている。


「どっかで見たモデルに激似だナ〜

 どうしよっかな〜

 週刊誌に投稿してみようかな〜」

脅すというよりは、からかって楽しんでいる様子だ。

できるだけ、低い声で私は言った。

「高校のトモダチです」


素早く腰に腕を回される。

顔が赤くなるのが自分でも分かった。


右手で振り払うと、



「へえー。トモダチには許すのにな」


「……怒りますよ」



私が睨みつけと、彼は興味なくなったみたいに、パソコンに集中し始めた。



……なんなのだろう。

なんで、一緒にいるのだろう。



(私、睨みつけましたよね?空気、悪くしましたよね?

 ……どうして、去らないんでしょう。

 彼も、私も)


……この重苦しい空気を嫌がっていないから問題だ。


私が黙ると、室内は響くのはキーボードが叩かれる音だけになる。


「昨日のことなんですけど……」

いい訳する子供みたいに、私は阿含さんとのバトルの詳細について話しはじめた。 





-年頃-




(変だ)

ぬるくなったコーヒーに、ちびちびと口をつけながら涼子は思った。

教育実習期間に入ってからというもの、和華は実家にいることが少なくなった。

夜遅く帰ってきたと思えば、「朝レンがある」と朝早く出て行く。

高校からはアパートの方が近いらしく、そちらに泊まることも多かった。

手帳を確認すれば、15分ごとに何らかの予定が入っている。

今日のように休日の朝も、決められた化粧を機械的にこなし、準備してある服に袖を通して、挨拶もそこそこに部活へ行くというのがパターンだっ
た 
のだ。


涼子がダイニングテーブルでコーヒーを飲んでからかれこれ30分は経つだろうか?

ここに座っていれば、廊下が丸見えだった。

和華がバタバタと足音を立てながら、彼女の部屋と、洗面所を行き来したのは一度や二度ではない。




(……今日は部活じゃないのかしら?)

一瞬そんな考えが頭を掠める。

「……涼子さん……」

廊下から頭だけ出している和華がいた。

コーヒーカップを口から離すことで、質問に答える気があることを伝える。

「……あの…髪、変ですか?」


思わず噴出しそうになる。

しかし、和華の方は至極真面目な様子で前髪をかきあげたり、サイドの髪をもてあそんでみたりしている。

涼子は訳がわからずに何も言わなかった。

和華の髪型はここ10年以上変わらない。

髪の色は茶色、耳のあたりから大きめのロッドでスパイラルパーマをあてている。

長さは、後ろから見れば肩甲骨にかかるくらいで、彼女が動けば軽い毛先がランダムに揺れることも知っていた。



「……いえ、あの…今日は、部活なんですけど。

 でも、練習には参加しないつもりなので髪下ろしていこうかと思ったんですけど。

 でもそれって、あからさまに『参加しない』ことをアピールしてるみたいで。

 まあ、その通りだから否定できないんですけど…」

否定形続き。

彼女にしては珍しく歯切れが悪い。

「服も、ジャージじゃなくてちゃんとしたのを着ようかなと思ってたんですけど。

 これって、なんかワザとっぽいですか?」

そう言って、廊下の壁から全身が現れた。

白の七分袖(和華が着ると8分くらいだが…)のジャケットに、中は黒のキャミソール。

下は少しドレープの入った茶色のスカート。

30分悩んでいただけあって、至って普通だ。


「いいと思うけど?」

涼子が初めて口を開くと、和華の表情が明るむ。

「ホントですか!

 えと、えと。髪は?下ろしていって良いですか?

 それとも少しはまとめていったほうがいいですか?」

早口でまくし立てる。

しかし、涼子は慌てず騒がず、目を細めて和華を見た。

違和感の原因を探るように、全身をなめるように観察し、そして一つの結論に達した。



「思春期だ!」

驚いたのは和華である。

シシュンキ…聞きなれない単語は彼女の中でなかなか漢字にならず、よって意味を掴みかねた。


「……ど、どうしたんですか?」

とりあえず涼子との会話から言葉の意味を探ろうとするが、そんなことはお構いなしに涼子は立ち上がる。

そしてテーブルを連打しながら、大声で叫ぶ。


「お義父さん!

 お義兄さん!」

涼子の異様な行動は和華の母親を思い出させた。

やっぱり姉妹なんだなぁとどこかで納得する。



「ええい!

 性悪オヤヂ!腹黒!若づくり!悪党!姉泥棒!」

誰の事を言っているのか分かってしまうのも問題か、と和華は苦笑した。






「朝っぱらから悪口連呼とはたのしそーですね?」

目だけが笑っていない異様な笑顔で、現れたのはちょっと長めの髪の男だった。

和華の父でもあり、涼子にとっては義理の兄にあたる。

若作り。そう涼子が叫んでいたのも分かる気がする。

年齢どおりに見えない、そういう雰囲気が感じ取られる。


「お給料へらしましょうかねぇ」

「…毒でも盛りましょうかねぇ」

父の口調を真似して涼子は言う。

火花が散っているように和華には見えた。


「はっ!こんなくだらないことをやっている場合じゃなかった。

 思春期!」


「だから思春期ってなんなんですか?」

和華の問いはまたしても無視される。

「朝から、妙に熱心に化粧しているかと思えば、着る服が決まらなかったり、髪型に30分以上悩んだり、

 和華!思春期です!」



「……まさか、20を過ぎて……

 もう来ないかと思ってたのに。

 うちの娘が思春期突入!」


彼らのテンションは止められなかった。


「性悪!早く姉さんにメールを!」

「家政婦もどき!赤飯を!

 赤飯を炊け!」



相変わらず犬猿の仲なのに、妙に息だけぴったりなのは義理でも兄弟ということか。。

「……お赤飯って……!」

和華が真っ先に思い出したのは、「女」が始まったあのでき事だった。

「デリカシーがないわ、性悪!」

「それはお前だ年齢詐称メイド!

 いいか?思春期は繊細なんだからな〜」



「いいかげんにしてください!

 冗談でも怒りますよ!」


 
しかし、和華の怒りは彼らには特殊に変換されていた。

二人はハモって答える。

「…反抗期だ」







「ああ、うちの娘に10年遅れで反抗期が!」

「大丈夫よ和華!この変態オヤヂとは洗濯物は別ですからね」

「怒りの矛先は、怠慢洗濯婦に向けなさい。

 容赦なくていいぞぉ。永久の休暇を与えるつもりで」


言い争いは続いた。

真面目に聞くのを諦めた和華は、相談相手を見つける。


「兄さん!」
















180cm近い兄は少し首を傾けてくれた。

すでにスーツ姿はガッチリと決まっている。

10人いれば10人が好感を得る顔は、朝だというのに、眠そうなところ一つ見せない。



「おはよう、和華」

「おはようございます」



「朝から何の騒ぎ?」

しかし、特に気にする様子もなく兄はテーブルについた。

ポットからコーヒーを注ぎながら私に問う。

「……ええっと……」

どこからどうやって説明しようか考えた結果、事の発端を投げかけてみることにした。

「あの…私、これから部活なんですけど、髪とか服とか大丈夫ですか?」


兄の手が止まった。



「……ほらほら!」

それ見ろといわんばかりに私が指差される。


「義和、和華が思春期に入ったんだ」

「そうなんだ。おめでとう和華」

兄のどこかとぼけた口調に続いて、父さんと涼子さんの投げやりな「おめでとう」コールが続く。



「さあ、赤飯を炊こうじゃあないか。義理の妹よ!」

「ええ。あずきを買いにいきましょう。義理の兄!」


反論する気もうせて、私もテーブルについた。

置いてあるクロワッサンを、ヤケ気味に口に運ぶ。



「……思春期ねぇ……」

兄さんは私用の新聞を手渡しながら、つぶやいた。


「兄さんまでからかうんですか?」

そう言って、受け取るのに一瞬躊躇する。

しかし、兄さんは緩く笑っただけだった。



「…………好きなヒトでもできたの?」

私は答えられずにうつむいた。

私はウソがつけない。

でも、答えられない問いもある。 


「……高校の時の、あの子?」

「違います!」


「ははは。そんなにムキになって答えなくたっていいのに」

私はやっぱりクロワッサンを口に運んだ。

口の中はカラカラで、もしゃもしゃととても食べにくかったが、しゃべれないのは好都合だった。



「服はそれでいいんじゃないかな。

 髪も下ろしていった方がいいと思うよ」


「カゼが強くてうっとうしく感じるかもしれないけど…

……でも、そーやってときどき思い出させてあげないと、すぐにムチャしそうだからねぇ」


一瞬ギクリとする。……由さんが脅した「次脱臼したら監禁」話も兄さんに伝わっているのかもしれない。


「……由弥先生が言ってたよ?

 最近雰囲気が変わったって。感情を出すようになったって。

 …特に負の部分をね」



「ボクもヒトの事言えないけどね。

 そういうトコ似てる、やっぱり兄弟だからかな」

兄さんの優しい笑みにつられて私も微笑んだ。

いつでも穏やかに見える兄さんにも、隠したい感情がある。

そんな部分が垣間見られて私は嬉しかった。



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