No.6


○Side Hiruma



目を、開くのが怖かった。

目に被せられている布が、俺の視界を遮っている……それでも。



何度も何度も指を動かしては、激痛の有無を確かめる。

そのたびにこれは現実だと思い知らされ、少しずつ絶望が増えていく。




試合は、どうなってる?

QBはどうした?

どんなプレーを選んでいる?



……それを今聞いて、知ってどうする?



目の前にはいつだって、クリスマスボウルがあった。

けれど、今。目を開いたところで……


俺にそれが見えるのだろうか。






救護室の外に響いた足音に、糞マネが顔を上げる気配がした。

間髪いれずに扉が二度ノックされる。



「辰巳和華です、入ります」

感情を込めていない声。できるだけ抑揚を抑え、普段の声よりも低く保っているようだ。


扉が開かれる音と同時に、立ち上がった糞マネが扉の方へ走る……気配。


「……和華…センセ」

糞マネが嗚咽を堪えて涙を流していたのは知っていた。

「うん」


「……わ……たし……ちょっ…」


知った顔……名ばかりとはいえ顧問の顔を見て安堵したのか、うわずった声に嗚咽が混じる。


「はい。少し診てます」


小走りで遠ざかっていく足音……糞マネに気持ちの整理する時間を与えたのか、それとも…。


再び扉の閉まる音がして、すぐに壁にもたれかかったような音が続いた。

歩くというよりも、何かを引きずるような音…それが俺の寝ているベッドに近づいてくる。


<ナンデ キタ>


口元だけが晒されている状況で、音にはせずにつぶやいた。

ひきずるような音がぴたっと止む。

彼女は、唇の動きから文字数を予測し、それに持ち前の会話能力と照らし合わせて俺の言ったことを理解したようだった。

「…偶然、目が覚めちゃったんです」


その割に声はひたすら眠そうで、再び壁にもたれかかるような音がする。

「せっかく起きたので、……私のできることをやりに来ました」


<ホネ ノ スペア デモ モッテキタノカ>


彼女が顔を歪めるのが見えた気がした。

声にしなくて良かった。……その笑えない冗談は狭い救護室でいつまでも響いて、彼女を傷つけるだろうから。


「……私、間違ってました」



「蛭魔さんが傷つけられるなんて、自分が傷つくほうが何百倍もマシで。

 あなたの腕が折られるなら私は全身潰れてしまう…って本気で思ってたんですけど」


ああ、思いの強さも思い込みの激しさも知ってる。

想像だけで自律神経おかしくして、今も本当は病院で寝ているハズだということも知ってる。



「でも、……私は元気みたいです」


<ソレデ カ?>


一人で満足に歩けないような、そんな状態でか?



「……蛭魔さん、ボール、落とさなかったでしょ?

 ほら、もし倒れる前に離せばファンブル。

 あんな……腕が折れてしまうほどの衝撃で……でも」


頭のすぐ横に彼女の腕が置かれ、もう片方の手が目を覆っていた布を剥ぎ取る。


まぶしい蛍光灯の光が直接まぶたを刺激して、反射的に目を開いた。



「……あなたは


 離さなかったわ」





自信に溢れている決意の瞳……彼女の瞳に映る自分もまた、同じ眼をしている…そう確信した。


<……たりめーだ>



満足したように頷くと、急に瞳を揺らがせて、突っ張っていた腕から力が抜けた。

全身を支えるものを失って重力のまま倒れこむ…

ぼやけた瞳とは眼は合わず、互いの唇を掠めるように落ちて……間一髪で唯一残っていた右手で支えたらしかった。




苦笑しながら、早く浅い呼吸を繰り返す。

茶化すように軽口を叩く。


「…弱ってる時って恋に落ちやすいんですって」


「なら落ちるのはテメーだな」


「……ずるい」


故意に唇を尖らせて彼女は言った。




ずたずたと不規則な足音が近づいてきていた。


「ま、私も大概ずるいんですけどね」


和華は、意味ありげに微笑んだかと思うと、ゆっくりと瞬き一つすると

さっきまでの醜態がうそのように背筋を伸ばして立ちあがった。


少し顎を引いて、唇にはほんの少しだけ微笑み。

それが、彼女の闘う時のポーズなのだと知っていた。



○Side Dr.Yoshimi





「……はぁ、はぁ」

息を切らしながら救護室の扉を開いた。


必死で探していた顔とすぐに目があって、一瞬手元が緩む。

右手で握り締めていたメモが滑るように落ちる。……『由弥先生。東京ドームに行きます。万一の時は怪我の応急手当の準備をお願いします』

悪びれたそぶりなど一切無く用件のみ、裏切りと怒りと絶望と…それは私に負の感情だけを起こさせた。

それでも、見捨てることなどできない。和華を目の前にして悔しくもそう確信していた。



多少まぶたは腫れぼったいものの、彼女はひどく平常に見えた。

微笑すら感じられそうな唇、目には強い意志の光。


……何で抜け出したんだ。自分が何をしたのか。何をしようとしているのか分かっているのか。私は君のおもちゃではないんだよ。振り回されて本
当に迷惑している!


もはや和華は何かを決断した後なのだ。

そして、今さら自分が何を言っても消して結果は変わらない。


だから、汚い罵声は全て飲み込んだ。

和華も同じ気持ちなのだろう。

少しの謝罪も口にはしなかった。


ただ、彼女は目に決意を宿していた。


部屋に入って初めて、私はもう一人の人物に目をやった。

金色の髪に元々色白の肌が、今は血の気を失って青く感じられる。

しかし、彼は和華と同じ目で私を見つめた。



彼の目は、死んでいない。

脳震盪やそんなものではなさそうだ。

…しかし、蛭魔妖一が戦線を離れるほどの怪我とは……。




医者としての私がそうさせるのか、彼の体を覆っているシーツをめくった。

右腕が異様に腫れあがっている。

……折れている。

骨は露出してはいないが、内出血を起こしているだろう。



「………由さん。お願いがあるの。

 一番効く痛み止め……」


「和華!!」


皆まで言わせずに遮る。


「………それは、できない」


「じゃあ、やり方を教えて下さい」


酷く軽い口調で、和華は私の鞄に手をかけた。


「和華!」


悲鳴みたいな怒声。……でも、他に思いつかなかった。


「……彼はいますぐに病院に行くべきだ」


「それはできません」



聞く耳を持たない和華にではなく、私は蛭魔妖一に向かって言う。


「……君には、長いこれからの人生があるんだ。今一番の最善は何か分かるだろう?」

「彼の目指すクリスマスボウルは、長い人生で今しかないんです」


しかし、答えたのは和華だ。


「和華!責任が取れるのか?一体君に何が出来る」



「………私の出来ることなんて、本当に僅かです。

 由さんを騙すみたいにして、ここに来させて、そして心の痛いお願いをする」


「私は、決めたんです。

 朝子は、一族のために生きた。

 私は、蛭魔さんのために生きます」


「…………彼が、それを拒絶するとは考えないのか?

 今でなくても…遠い未来に…そうなった時君は…」

それこそ願ったり叶ったり、だというように彼女は微笑んだ。


「では、彼のいる、この世界のために生きます」


和華はとっくの昔に答えを出しているのだ。

私は、この瞳には勝てない。



「由さん、ごめんなさい。

 私にはたくさん大切なものがあるわ。

 勿論由さんもそうよ。

 ……でも、私は朝子のように悔いたくはない。

 私の一番大切なものは一つだけ。それは全てに優先されるの」



「……いいかい?

 僕は君が一番大切だ。

 僕の患者は全部、一番だ。他の順位なんてつけられない」


「知ってる」

彼女は嬉しそうにうなづいた。

……和華も彼に出会わなければ僕と同じだったはずだ。



結局、僕は鞄を開いた。


「……蛭魔くん、大きな貸しだからね」

医者として、この僕の行動は間違っている。

……けれど、患者を第一に思う気持ちは本当だ。



「……面と向かって『あなたは一番大切ではない』なんて言われたの初めてだよ」





どんだけ告白しちゃうんですか和華。
……きっと自覚はゼロに違いありません。
えっと。原作沿いはこれにてとりあえず終了?

また31巻が出て書きたくなったら。
蛭魔○○の話とか…いいねぇ。

意外と雪光くんとママの話とか書きたいです。
でも、いつか本編でやりそうですよね。


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