第14話



お昼休み後の一発目の授業。

抑揚のある声、人をひきつける動き、ときより混ぜられる歴史関係の雑談。

それらを足しても、生徒たちの眠気を完全に払うことはできなかった。

一人、また一人と眠りの世界に入っていく。

(うう…みんなに眠られると面白い話しても効果ないし、

 部活やってる子たちが疲れてるのも分かるし…っていうか私も眠い。

 かといって、起こそうとして大きい声出してイライラしてると思われてもアレだし…。)

さて、どうしたことかと思った時、このもやもやした気持ちと状況を打開する折衷案を思いついた。


息を吸い込むと、もてる限りのダミ声で……。

『あ゛〜』

教室の後方で見学していた担任は何事かと立ち上がり、机に突っ伏して寝ていた生徒たちも跳ね起きた。

自分たちの授業を受けていた態度が気に入らなくて、辰巳先生がキレたのだと考えた。

一人だけ、なんとなく糞新米教師がやりそうなことを推測して、半眼で目をそらした。

「辰ァ巳ィィ〜〜〜、和華だよォ〜〜」

わざと鼻にかかった声を出し、教壇から降りる。

腕を組み、無意味に胸をそらし、見下したような細い目で教室内を見渡す。

「お昼に弁当食いすぎて眠くなってるのは、ドコのどいつだァい?」

生徒たちも彼女がモノマネ好きだったことを思い出したようだった。

「……あたしだよっ!」

「なんだ、センセも眠いんじゃ〜ん」

「つか、あと睡眠にしね?」

時計を見れば、授業終了まであと10分を指していた。

「そうですね〜。

 …じゃあ授業しましょ」

「うわ、フツーに無視かよ!」

「センセ〜あと10分寝かして〜」

「しょうがないなぁ〜。

 分かりました、授業してあげますってば」

担任のいる手前、「睡眠」とか「休憩」とかは口が裂けても言えないのだろう。

けれど、生徒との雑談ならば、大目にみられるのかもしれない。

結局、雑談で5分を消費し、全員の眠気が飛んだところで、残り5分間のかなり
ハードな授業の復習がされた。




NFL(プロ)選手にとっても机上の勉強時間は重要であり、練習時間の半分を占めることもあるという。

しかし、いかんせんデビルバッツメンバーには経験値が足りない。

とかく実践で、体で覚えることがまず先行している。


(蛭魔さん一人で背負いすぎ……というか、それをできてしまうのが凄いのだけど)

結果的に、部室を一番最後に去るのはいつも蛭魔であり、一応顧問である和華もそれに付き合っているのだが…


(今日も長丁場になりそうですね…。

 どうせ家に帰ってもレポートなり、レジュメなり、やらなきゃいけないことはいっぱいあるから一緒だけど…)

放課後練が終わり、部室には蛭魔と和華の二人だけとなっていた。

和華には既に慣れた光景だった。

ゆっくりと忍び寄る睡魔に気づきながらも、それを止めることはできない。

思考回路がにぶくなり、考えていたことがそのまま口をついて出る。

「…ちょっとは、まもりちゃんに手伝ってもらえばいいのに……」

とたんに飛んできた鋭い視線のおかげで、少しだけ目が覚めた。

「……糞マネはガキ共のお守りで精一杯なんだよ」

パソコンを叩く手をとめた。

いい訳するみたいにそうつぶやく。

画面から、目を離して彼は言った。

「ああそうだ。

 神龍寺戦のハーフタイムに、ボンテージ着て今日のヤツやれよ」

授業の中で咄嗟にやってしまった『にしおかすみこ』のモノマネを指しているのだと分かり、和華は顔を赤くした。

「……持ってませんから!」

赤くなった顔をごまかすように叫ぶ。

蛭魔はケケケといつものように笑った。





教育実習の目玉である、研究授業が近づいてきている。

後悔しないように、できるだけのことはしたかった。

それは、神龍寺戦を控えた彼も同じ気持ちなのかもしれない。

―早く帰って休んでください―

いつも言う小言は飲み込んで、和華は長丁場を覚悟したのだった。






しばらく、二人のノートパソコンを叩く音だけが響いていた。

振動も、音もしなかったが、かばんの中からわずかに点滅する光を見つけて蛭魔は言った。

「……携帯」

「え?

 ………あ、授業終わって、バイブにするの忘れてました」

慌てて、彼女は携帯を取り出し、通話のボタンを押す。

「和華!」

叫ぶ、という表現に近い男の声は蛭魔にも聞こえた。

普段の温和な兄らしからぬ声に、和華は萎縮しながら言う。

「…兄さん?

 すいません、もしかして何度かかけまし…」

「いいから落ち着いて。

 ……良かった、まだ大丈夫……」

電話口の声は、そこで掻き消された。



部屋の中にいても外が一瞬明るくなったのが分かった。

そして、すぐに内臓を揺さぶられるような轟音が響く。




和華の手から携帯がすべるように落ちた。

床に転がった携帯からは、また男が何か叫んでいるのが聞こえる。

「おい、テメー…」

彼女は何かに取り付かれたみたいに、部室の外に誘われていった。

すでに兄の声も、蛭魔の言葉も届かない。

「…誰か、誰かいるのか?」

一瞬迷った後、蛭魔は電話を手に取る。

「いたら、なんだってんだっ」

相手につられて、自分も思わず叫んでしまう。

部室の外を覗くと彼女がふらふらと歩いているのが見えた。

「…………頼みがあります、あと30分ほどは抜けられないんだ。

 それまで、妹を……」





蛭魔は、短いやり取りを終えて携帯をテーブルに放り、和華を追いかけるように部室を出た。

さっきまで何とも無かったのに、雨が突然降ってきた。

空を見上げれば、赤と紫を足したような、いやな色。



彼女は雨など全く気にする様子もなく、ただ立ち尽くしていた。

グラウンドの横に生えている木を一心に見つめている。





「カミナリが、堕ちたんです」

遠すぎる過去のできごとのように彼女は言った。

栗色の髪から雨が滴り落ちていく。

「彼が、縛り付けられてました」

そう言って、彼女は大木を指差した。

「私の弟と叔父上を殺した罪で、そこに火がつけられようとしていました」

「でも本当は、弟を刺したのは私だったんです」

「その罪を自らかぶって、北条時夜は命を絶たれようとしていました」

「……私は、ただひたすら星辰さまに祈っていました」

蛭魔は気づいていた、「彼女」ではなく「私」と表現していることに。





(どうか助けて下さい。)

辰巳一族の巫女として、弟を殺された姉として願ってはいけないこと。

北条は敵。

けれど、北条時盛から辰巳一族を守ったのは彼。

叔父に乗っ取られようとしていた辰巳一族を助けたのも彼です。

星辰さまの加護が与えられるべき存在です。

そして、私も星辰の巫女。星辰さまに一番近いとされている存在。

この願い、聞き届けてもらえるのではないか。

キセキが起こるのではないか、とただ祈っていました。



「若頭領を殺した」

「やはり北条は敵だ」

「許せない」

大木を取り囲むように集まった一族から浴びせられる暴言。

(違う、彼は我々を救ってくれた恩人なのに)

「それどころか、かの叔父上まで」

(いいえ、叔父上は弟に北条を殺させて、それから弟を始末し、一族を掌握しようと企んでいた)

「巫女さまにも手を挙げられたとは、星辰さまがお怒りになる」

(両腕の浅く裂かれた傷は、弟の、返り血を浴びたのを隠すために彼がやったこと)



「殺せ」

「辰巳一族の怒りの業火に焼かれろ」

「灰となれ」

「殺せ」

「殺せ」


…………それらの暴言は、本来私へと向けられるべきもの。

けれど、私はまだ純潔の巫女の振りをしていた。

それこそが一族のためであると信じて。


心の中では、星辰のキセキを信じて。



そこまで一気に語ると、和華は自分の両手を眺め、そして許しを請うように天を見つめる。




するどい光が、そこに落ちた。続く轟音。

戸惑ったような一瞬の沈黙の後、大木からは煙が立ち始める。



「火事だ〜」

「消防を!」

警備員がそう叫びながら走っていくのが見えた。




その声も彼女には届いていない。

なおも語り続けた。






「そう、天が明るんで、一筋の光が大木に落ちた」



人々は、燃え上がる彼の体から逃げた。

「人の、肉の、焦げるにおいを私は忘れない。

 それが、愛した人なら……なおさら」


――天罰が下った。

誰かが言った。

――星辰さまの怒りだ。


ねえ、こんなにおかしいことがありますか?

星辰様は、私たちを見放したんです。




私がもっとも近いと思っていた神は、一族を救った彼に手を下した。



私たちは、裏切られた?

否。

先に裏切ったのは我ら。




農耕の神であった星辰を、戦のために武神にまつりあげたのは我ら。

不動の星から、七星へと信仰を変えたのも我ら。



星辰さまの加護を与えられた存在として、

偽の七星の、痣を作り上げたのも、我ら巫女。

弟が……彼を殺めようとしたのも……そこまで追い詰めたのも我ら巫女の罪。








「あのときは、雨が降っていたから、

星辰の巫女であっても、

……泣いても分からなかった。」


嗚咽をもらすことなく、ただ大粒の涙が頬を伝っていった。

左肩……『辰巳和華』にもあるという痣の場所を押さえている。

和華の震えをとめてやろうと蛭間は肩を抱いたが、無駄であることは分かっていた。



「ねえ、私は時夜を選んでも良かったんですか?

 一族よりも、愛する人を選ぶ……それが、本当の正解だったんですか?

 それとも、私は巫女頭ではなく、一族を継ぐべきだったのですか?

 たとえ、弟と争うこととなっても。

 北条を倒すべく一族を蜂起させるべきだったのですか?

 勝てないことが分かっていても…」


彼女はあの時と同じように、俺の心臓の上に手をあてていた。



「おい、辰巳。辰巳和華、和華!」

「どうして?トキヤ……」

俺の腕の中で、他の男の名が呼ばれた。

そうつぶやいて、気を失うように眠った。





かけつけた消防から逃げるようにして、部室へと戻った。

死んだように眠る彼女の胸に手をあて、鼓動を確認する。



さっきまで、憎まれ口を叩いていた桜色の唇が今は青く震えている。

「お前が背負っているものはなんなんだ?」

「手放しちまえば楽になるんじゃねーか?」


(トキヤ…それがお前の愛した男の名か?)


口にすれば認めてしまうようで、最後の言葉は飲み込んだ。




30分……宣言通りに寸分狂わずに一人の男が現れた。

スーツが板についた、背の高い男。

「和華!」

そう叫ぶと、彼女にかけよった。

どうやら、この男が兄らしい……眉が似ている、そう蛭魔は思った。




「………」


その男が、くやしそうに唇を噛むのが見えた。

そして、蛭魔の存在を思い出したかのように、はっと我に返る。

見られていることにも気づかなかったらしい。



「……妹が面倒をおかけしました」

「由弥とやらにも連絡したが?……急患で来られないとよ。

 後から連絡すると」

「……そうですか」

蛭魔には、彼の目に遠い後悔が映っているように見えた。

一つ、思い当たることがあった。


「トキヤ……」

蛭魔が口にしたとたん、冷たい目で睨まれる。

男は気に障ったようだった。

「私は義和<ヨシカズ>だが?」

「糞チビ顧問がそう言ったんだよ」

「……」

義和は、納得いかないという風に眉間にしわを寄せ問う。

「……他に、和華は何か?」

「なんだっけなぁ〜

 イッパイしゃべってたなぁ。

 長くて忘れたな〜」

からかっているような口調で言う。

蛭魔がカマをかけていることは、彼をよく知る人間になら分かっただろう。

「…………弟が、亡くなったことは?」

「…言ってたなぁ〜」

「………自分が殺したとも?」

「そうそう。」

「トキヤという者が処刑されることは?」

「……それで?」

「星辰に裏切られたと?」

「言ってたぞ」



予想通りの答えに、蛭魔は満足気に口角を上げた。


対照的に、義和は青ざめる。

「……全部、思い出してしまったのか…」



それは、裏を返せば自分は全て知っていた、ということ……。

妹を抱えて去っていく後ろ姿が、蛭魔には十字架を背負っているように見えた。





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