第15話
「だから、もう大変な試合だったんです!」
洋子は、そのセリフ3回目…と思いながらも親友のよしみでうなづいた。
「どれくらいすごかったのかは言いあらわせないんですが!」
店に入るなり、和華は顧問をやっているアメフト部の試合について熱弁していた。
しかし要領を得ないそのしゃべり口から、洋子は30分ほど経った今も試合の全体像がつかめずにいる。
とりあえず、試合を観戦していた和華が「ドキドキ」したということと、彼女の熱い語りからおそらく泥門が勝ったのだろうということだけ推測し、それ
以外は理解するのを諦めていた。
アルコールが弱くは無い和華だが、ビールもジョッキで既に3杯目。
さすがに教育実習の身を気にしてか、部員たちと勝利を祝った場では飲めなかったらしい、だからといってその分ここで飲まなくてもいいんだけど
…と洋子は思った。
その3杯目をあけながら、和華は言った。
「ヨーコちゃん。
私、本番に強い……ですよね?」
確認するみたいに問う。
疲れも混じっているのか、和華の目は少しうつろであった。
教育実習の目玉、研究授業。
和華は確かに本番に強いが、緊張しないわけではない。
ここは、親友に励ましてもらいたいのか、と洋子はその意を汲んだ。
「……小学校の100メートルリレーの時、覚えてる?
和華が2週間ぶりに登校したら、勝手にリレーの選手に決まってた時のこと」
和華はうなづいた。
「あれはびっくりしました。いじめかと思いましたよ?」
「ま、いじめよね?
不登校児を、運動会の花形、リレーの選手にしてるんだから」
「別に、私は……」
いじめられてないですよ!……反論しようとして和華は言葉を飲んだ。
いじめなり、セクハラなりは、受け取る方の判断になる。
よって、和華が「いじめ」ではないと思っている以上、そうではないのだと和華は思っていた。
しかし、大学で受けた講義の中で、人間には「いじめ」られることは恥ずかしいと思う心理があるため、いじめられた方はその事実を隠したがる、と
いうことを学んだことがあった。
強がっていたけれど、もしかすると自分も「いじめ」を隠したかっただけなのかもしれない、和華はそう思って苦笑した。
「ヨーコちゃんもトレーニングに付き合ってくれてありがとうございました」
「いえいえ。あたしもタイム縮まったしね」
もとより、和華は精神的な安定があれば体には問題なかった。
リレー事件後、和華をリレーの選手に選んだことを絶対に見返してやると、洋子は激怒した。
そして、和華を連れてある社会人の陸上部へと乗り込み、そこで教えを請うことに成功した。
小学校の運動会レベルで、そこまで本格的な練習をする児童はいない、彼女たちは面白半分でもらったプロテインで体作りまでしていた。
「でも、最終的にはみんな私を応援してくれましたし…」
「まーね」
100メートルリレー。
クラスの俊足自慢が集まる中で、不規則不登校児が一人。
「転べば、面白い」
そんな軽い気持ちで見ていたクラスメイトも、和華の走りを目の当たりにして変わっていった。
スポーツは人間を変える。
気がつけば、他クラスと十分に張り合っている和華に、クラスメイトの声援が飛んだ。
「けど、ふん!どんなもんじゃい!ってならないとこがあんたのいいとこよね。
普通、ひねくれるわよ?」
「……だって、せっかく好感度アップしたのに棒にふるわけにはいきませんし。
その辺、あざといですから私」
「知ってる」
洋子は即答した。
彼女は空いたジョッキを取り、再び液体で満たすために立ち上がろうとした。
「ヨーコちゃん……
……あのね…」
和華の曖昧な言葉は、言いにくいことを口にする前触れであると洋子は経験から知っていた。
努めて気にしないそぶりで、洋子はビールサーバーから注がれる液体を見つめていた。
下手な相槌は大切な言葉を遮ってしまう、だから洋子は黙っていた。
「この間……大きいカミナリが堕ちたでしょ?
あの時に私、思い出したんです。
小さい頃から沢山転がっていた記憶のピースが額縁の中にはまっていって…」
前世の記憶の断片について、和華はよく話していた。
自分がもらった馬は栗色で綺麗だったとか、弓を射る時、左にそれがちだったとか、幕府は武力政権ではなく、結局は官僚が動かしていて気に入
らなかったとか…。
洋子はそれについて突っ込むことはしなかった。
和華が過去のことについて語るのは、本当にわずかな人だけだと知っていたから。
いつでも、彼女の気が済むまで話させた。
しかし、和華はばらばらの記憶が一本に通ったと言った、幼い頃から脈絡なく湧き出し続けていた記憶が……。
「『彼女』はあの時、辰巳一族と愛する人……つまり「公私」を秤にかけて、
……「公」(おおやけ)を選んでました。
……私もその選択は正しいと思います。
…………だって、人魚姫も、ロミジュリも、ウエストサイドストーリーも、
公私のなかで「私」を選んだ末路は悲惨なものです」
「……でも……でも…『彼女』の物語が、悲劇に思えるのはどうしてでしょうね」
そう言って、和華は悲しそうに笑った。
「……」
洋子は何も言わずに、金色の液体で満たされたジョッキを置く。
「あ、今のちょっとおかしいですね。
私の『彼女』に関する記憶ってやっぱり北条時夜が処刑されるとこまでしかないんです。
それなのに悲劇なんて決め付けちゃ、彼女がかわいそうですね」
結局、彼女の名前は思い出せなかったし…と和華は付け足した。
愛した人が目の前で処刑された記憶。
そこからさきの『彼女』がどう生きたのか、和華は知らない。
歴史的にみて、女性についての記述は少ない。それが中世であればなおさらだ。
よって、ここまで彼女の人生を知っていても、史学の道に進んでも、「彼女」の名前の手がかりすらないのだ。
「……でもね、私の体調が、整っていったのって中学校の終わりじゃないですか。
……『彼女』の記憶があるのも、数え年で15まで。
一致します。
たぶん彼女は北条時夜の処刑後…」
和華が言いたいことは分かった。
つまり、『彼女は』15歳までしか生きなかった。
だから15歳以降は記憶がダブることはなくなり、和華の精神が安定したのではないかと……。
「ねえ、洋子ちゃん。
私……自分が話す声が他人にはどう聞こえているかも、自分が笑う表情も全部分かってるつもりなんですが……」
「それも知ってる。
ま、さすがはあの父の娘ね」
和華の父親はいわゆる「営業」から成り上がったタイプで、その仕事を誇りにしていた。
父親の教育方針として「第一印象は、良すぎて損することはない!」「自分の表情を研究しろ!」など、新入社員教育みたいなことをされてきた。
持って生まれた顔と声がある。良し悪しを含めて、それを選ぶことは出来ない。
しかし、その顔が一番良く見える表情、角度、影と光……それを自分で把握していれば、その魅力を何倍にも膨らませることができる。
また、人間の耳のしくみとして、自分の声を自分の耳で聞いている声と他人に聞こえている声とは異なる。
ビデオなどで聞く声が自分の声に聞こえないのと同じである。
それさえも考慮にいれて「一番イイ声に聞こえる声」を出せるようにする、和華と兄、義和も幼い頃からそんな教育を受けていた。
「…………でも、一人だけ通用しない人がいるんですよね…。
その人といると、自分の表情も分からなくなるし、あまつさえコントロールできないんです、感情が。
必要ないこともしゃべっちゃうし……」
「……好きなの?」
和華はハッとして、けれど悲しそうにはにかんで笑った。
自分にだけは偽らない和華の姿が愛しくて、洋子は抱きしめずにいられなかった。
願わくば、何とかしてあげたいと思う。
洋子がその思いを口にする前に、和華は腕の中からスルリと抜け出た。
「ヨーコちゃん。
ロミジュリにも、ウエストサイドストーリーにも、人魚姫にも共通することを見つけました」
自分に言い聞かせるように、和華は言った。
「かなわぬ恋なんですよ?」
洋子に何も語ることを許さず、和華は「じゃ、また」と言って店を出た。
かなわぬ恋だなんて、ばかばかしい。
それ以上に重要なことは世の中沢山あるはずだ。
そんなものは必要ない、否定の言葉だけが次々に和華の心に浮かんでくる。
(「彼女」だって、結局は愛した人を見殺しにして、一族の存続を選んだんだから)
店を出て大通りにでる道。
夕焼けに伸ばされた影が二つ見えて、そして聞こえた声は覚えのあるものだった。
「蛭魔くん!またそんなに危ないもの買い込んで!」
「この糞マネ!
テメーこそ武器買い込んでんじゃねえか!」
「何が武器なんですか!
ただのシュークリームです!」
隠れるように、和華は電柱に背をつけた。
「ほらね、かなわぬ恋」
そうつぶやいた声は、自分のものではないようだった。
カミナリ事件後のワンクッション話です。
モナコは恋愛でウジウジした覚えがない…
ので、その分主人公和華には思いっきしウジウジしてもらいました。
前世でも恋愛してないから、経験値足らなすぎなんですね和華は。
そして、前世では喜怒哀楽の感情を制限され、今生では表情の徹底について父に習った。
和華の人目を気にしすぎること、外面が良すぎるところは、そういうところからきているんですね。
次回はやっと蛭魔さんが動きだしてくれます。
前世における「彼女」の秘密。
それが解き明かされる頃には、連載モノが終わる…ハズ。
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