第16話
いまや質感まで慣れた扉に手をかけて、けれど部室内から漏れる音に和華は扉を開けるのをとどまった。
まるで観客のクラウドノイズ……
「これが決まれば、逆転!」
実況の声と扉から漏れている光で、神龍寺戦のビデオ鑑賞をしていることに気づく。
「スクリーンパスで左っつうのがみえみえなんだよ、糞チビ」
「スイマセンスイマセン。
……プレイしてる時に感じるほどゲインないんですよね」
「ただ左に流されてるだけだからな」
「………もっと右に振っておけば良かったんですね」
まだ試合の疲れが残っているだろうに、勉強熱心なことだ。
なんとなく入るタイミングを失った和華は、彼らの会話に聞き耳をたてていた。
和華自身が高い位置で撮影していたビデオだ。
面と向かってでなく、その評価を聞いてみたくなる。
意外とすぐに、その機会は来た。
「これって、辰巳センセイが撮ってくれてたんですよね」
「ベンチに来ねーから、上から陣形撮らせてた」
これまでにも試合を観戦する機会があったが、和華がベンチに行くことはなかった。
顧問といっても、期間限定。実習が終われば解任になる、そんな中途半端な者がベンチにいてはいけない、と彼女は考えていた。
ビデオを見ていたセナがぽつりと言う。
「……なんか、
蛭魔さんばっかり映ってますね」
そこにいなくとも、和華には部室内の空気が凍りついたのが分かった。
逆に、自分の顔がほてっていくことも。
「初心者はQB中心に見るんだよっ」
吐き捨てるように蛭魔の声がする。
咄嗟のフォローは、多少ごまかしている感はぬぐえなかったが。
疑惑を振り払うためにも、タイミングは今だな、と決めて和華はいきおいよく扉を開いた。
「お〜勉強熱心ですねぇ〜」
ウワサをしていたところに、ウワサの当人が現れたのだ。
常人ならば心乱される。
「わわわ。辰巳センセ」
部室内をゆっくり見渡して、そこに蛭魔とセナの二人しかいなかったことに和華はこっそりと安堵した。
逆に、露骨に不安な顔をしてセナが問う。
「あ、あのどこから聞いてました?」
「………何が〜?」
そしらぬ顔で和華は答えた。
「……いえ聞こえてないなら、いいで」
「糞チビがなァ」
「…わあああ、
……あ、もうこんな時間ですね。
そろそろ帰りま〜す」
2、3度、無意味に頭を下げた後、セナは逃げるように去っていった。
追い出したみたいなこの状況…、少しイジワルだったかなと和華は苦笑するが、無謀にも、残った方にも仕掛けてみたくなる。
「…セナ君と、何を話してたんですか?」
「…………テメーのビデオの撮りが甘ェんだよ」
そういって、彼は目をそらした。
蛭魔であれば、会話の内容が聞こえていたことも分かったはずである。
(…どっちの答えもウソではないから、許してあげましょう)
和華はなんとなく、すっきりした気持ちで微笑んだ。
これから暗雲が待っていることが分かっていても、一度真っ白にできた心に感謝していた。
「………このあいだは……ありがとうございました」
「いつの話だァ?」
はぐらかされているのは分かっていたが、和華は真正直に答えた。
「……カミナリの夜に。
一つ、聞いてもいいですか?」
あの晩以来、和華はずっと聞きたかった問いを抱えていた。
蛭魔の沈黙を肯定として、続ける。
「処刑後の彼女の記憶について、私何か言いませんでした?
その後の彼女の人生は?」
意識が朦朧としていた和華は、あの晩話した事柄について自信が持てなかった。
実際には、散らばっていた記憶は以前からあるもので、それがどういうストーリー、どういう場面での記憶だったのかをあの夜に理解したのだ。
しかし、自分が覚えていない記憶をしゃべったのではないか、それを確認したかった。
「名前は?彼女の名前については何か?」
和華がこだわっていた「彼女」の名前はいまだ分からずじまいなのだと蛭魔は分かる。
兄弟で同じような質問をするんじゃねぇ…蛭魔は心中で毒づいた。
「……北条時夜は誰だ?」
蛭魔にも、聞きたいことがあった。
『彼女』にも、和華にも。
「……彼女が愛した人です。
一族への愛、家族への愛、星辰への愛……それとは別の…もっと特別な気持ち」
胸に手をあてて、和華は目を瞑った。
「北条氏の刺客とも言えた彼を、なんとか守ろうとして、
熱した鉄をあてて、星辰の加護の証である痣を偽造したんです」
星辰の痣があれば、辰巳一族も無下に扱うことはできない。
北条氏を憎んでいる者が多い中、「今度の頭領は幼すぎる、北条時盛の弟である時夜を頭領とするべし」そういう挑発の元に時夜が送られた。
まさに、一触即発の場面で彼女が機転を利かせたのだった。
「なんとか守ろうとしてだァ?
北条時盛の弟に何かあれば、一族は生きれない。
だが、単純に考えて、辰巳の嫡流をゆがめてまで北条時夜を頭領とするわけにはいかねえ。
……テメーはいつも一族を優先してるじゃねえか」
「…で、でも、彼女は彼を守るために弟に手をかけたんですよ?」
「不慮の出来事だろ。
万が一、北条時夜が殺されれば鎌倉の北条氏がだまってはいない。
ほぉ〜計算高いな」
「そんな……あの時は必死で……
もし闇夜で刃を握っていたのが、弟だと知っていたなら…」
「弟を助けたか?」
「……」
「テメーは処刑されるのを見殺した」
「……」
「そんなのは愛じゃねぇ。嘘っぱちだ」
「嘘じゃありません……彼女は、時夜が辰巳とともに生きると決めたときから、星辰の巫女の罪を、私と共に背負ってくれた唯一の人なんです。
いつだって、ふわりと笑って側にいてくれた」
「本当に愛していたなら、全てを捨てても、そいつを選んだはずだ」
「……全てを捨てる?
一族の笑顔も、耕した土地も、青い空も?
また土地を奪い合う戦を北条氏とすることになっても?
それこそ、嘘っぱちです。
そんなこと、できっこない」
和華は髪が乱れるのもかまわずに、何度も首を振った。
「だからテメーはお子様なんだよ」
「私一人のわがままで、一族を危険にさらすことはできません。
私と、時夜二人の犠牲で済むのなら、それで……」
「テメーのは愛なんかじゃねえ」
蛭魔と目があった瞬間、あまりに鋭い視線に、殴られるのではないかと和華は感じた。
否定しなければいけないと、必死に言葉を探すが彼女には見つけられなかった。
「俺なら、全てを変えてやる。
何も捨てさせねぇ」
二者択一の場面で、両方と言ってのける蛭魔の強さ。
歴史に「もしも」は存在しない。
ただ、事実だけを求める。それが現代の歴史学である。
けれど、和華は「もし、両方と言える強さがあれば、元寇によりその弱さを見せはじめていた北条氏にも立ち向かえていたのでは……時夜が生き
ていれば、本当の意味でも北条氏とも共存もできたのでは……そうすれば、もしかして……」
無駄な考えとは分かっていても、その思考を止めることはできなかった。
「前に、私のことをそう呼んだけれど、
蛭魔さんこそ、偽善者です」
歴史には、事実がある。
鎌倉幕府創立に大きく関わったとされる辰巳一族は、北条氏と姻戚関係を結ぶことでその排斥から逃れた。
けれど、鎌倉幕府の衰退とともに分裂し、その一つは元寇時に九州を守り、また東北、近畿にも分かれていった。
各地に残る星辰神社だけが、辰巳氏の足跡を残すのみとなっている。
(ほら、歴史に「もしも」はない)
「現実はそんなに甘くないですよ?」
悲しい妄想を振り払うように、和華は部室を後にした。
すでに、過去と現在がごっちゃですが…
とりあえず、16話終了。
モナコはこんなに長い話を書くのは初めてなのですが、
おおまかなストーリー、結末、書きたいシーンなど、
構想を元にして書いているんですが(これでも…)
いざ書いてみると、長くなる、増える……
このお話も最初の構想にはまるっきり入っていませんでした。
今後の展開に向けて、これがあった方が分かりやすいのでは、
こういうシーンがあった方が盛り上がるんじゃないか、と。
どんどん勝手に増えていきます。
あと数回で終わりなのは、本当です。
最終場面も最初考えていた場所とは異なり、
増やす場面、減らそうとしている場面、あります。
何より、ジャンプがさ……(以下ネタバレのため削除)
というわけで、早く書かないとどんどんずれてしまう気がするので、
さっさと書いて、「これはいついつに書いた物なので原作設定とは異なります」といいはろうと思います。
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