第18話



兄の運転する青い車の中で、和華はじっと身をまかせていた。

彼女は混乱していた。

右左折するたびに右へ左へと引き寄せられるさまが、彼女自身の心とよく似ている。

妹としては、祖父の手術が和華にだけ知らされなかった事に怒っていた。

孫としては、その手術の結果を心配していた。

そして「彼女」としては北条時夜の記憶を持つ人物が現れたことに戸惑っていた。

一体「私」はどれなのだろう、と和華は考える。

辰巳和華の感情として、どれが的確なのだろう。

義和がブレーキを踏み、必然的に和華の体は前へ傾いた。

視線を上にあげると、バックミラー越しに運転席の兄と目があった。

自分の混乱した感情を悟られるのが嫌で、和華はつとめて無表情を装った。

たぶん、彼女のように…と。



病院についてからは、兄の一歩後ろを保って歩いた。

車中で渦巻いていた感情は、合わさって相殺されたと和華は信じていた。

迷路みたいに入り組んだ中を進んで、そして兄の足が止まる。

父の姿を見つけても、由弥先生の姿を見ても、彼女の表情は揺るがなかった。


「手術、成功したって」

駆けよった義理の姉である涼子がそう伝えたときも、和華はどういう顔をしていいのか分からなくて、結局は小さく頷いただけだった。



「10分だけですよ」

うすいピンク色の服を着た看護士さんが早口で告げて、そのまま病室のドアを開けた。

兄が和華の背中を押したことで、そのまま彼女は病室へ入った。





「なんだなんだ。辛気臭い顔で」

祖父の笑う顔を見たとたんに、和華の表情は溶けた。

「お祖父さん!」

混乱した感情が一つにまとまって、和華はその感情の名を探る。

(うれしい)

にじんでいく視界で、涙が溢れてきていることを知る。

(うれしい、のに涙)

和華がそんな風に人前で泣くのは初めてだった。

「うう……」

言葉にならない声としゃくりあげるのを交互に繰り返すが、祖父はただ「うんうん」と頷いた。

心の中で、和華は遠い過去の「彼女」へと問いかける。

(ねえ、一つ新しいルールを考えたの。

 あなたが星辰の巫女だったとしても、嬉しくて泣くことはいいことにしない?)






10分きっちりに無情にも扉は閉められ、彼女たちは外へ出された。

廊下は人影もまばらだった。

父は医者と話すために、涼子は入院中の身支度をととのえるためにその場を離れた。

残された和華は、廊下の簡易なソファーに浅く腰掛け、また義和も少し間をあけて隣に座った。


いつになく遠慮がちな態度の兄に、和華は言葉をかける。

その表情はいつものように戻っていた。

「兄さん、ありがとう」

「……」

「研究授業の日に手術なんて言ったら、私何もかも手につかなかったと思います」

「…」

義和は、下を向いて黙っていた。

「会社のことも…私を巻き込みたくなかったから…?」

「…」

「カミナリは、辛い記憶を思い出させないため?」


「…言い訳は、しないよ。

 全部、私の身勝手の結果だ。

……和華にとっての最善を考えていた、…和華の気持ちを無視してでも」


小さく首を振りながら、義和は矛盾していたねと苦笑した。

ふいに、和華は天井を見上げた。

「……『彼女』の名前を知っていますか?」

諦め混じりの問いかけだった。

NOを期待した質問であることに、和華は少しだけ驚いていた。

「いや……。

 本当にむかしばなしの一つくらいにしか覚えていないんだ。……ごめん」

予想通りの答えに和華は小さく微笑む。

彼女の名は知りたい、彼女の人生の続きも。

……でも知るのは今ではない気がする。ここでもない。

兄から聞くことはできない気がしていた。


兄の謝罪を否定するように、和華は小さく首を振り微笑む。

「いえ…」


「……すまなかった」


和華はもう一度首を振った。
 
今の自分はここにいて、生きている。

今まで、兄は自分のためにたくさんしてくれた。

その事実だけで十分満足していて和華は微笑んだ。


肩にあった荷がおりたような、心地よい倦怠感に誘われて、和華は目を閉じていった。

「彼女」の夢を見る。

そんな予感がして、和華は眠気に逆らうことはしなかった。




「姉…さ…ん」

私より少しだけ背の高い弟。

その体が崩れるように倒れ、私には無意識に手にしていた短刀と弟の生暖かい血だけが残った。

「あああ」

短刀を放り出して、弟にかけよる。

「……姉…さん、ごめん」

「な、なんでこんな…」


「どうして、他人のものは、良く見えてしまうんだろうね…。

 ごめん、姉さん。

 もう欲しがらないって決めたから」


「いや、いや…」

「時夜殿……

 外に叔父上の兵が……どうか、姉さんを、守って」


そのまま目を閉じる。

私の弟……私より、後に生まれた弟が先に…。



「何故…このような…

 弟が何をしたと…叔父上…叔父上がたき付けたのか!

 許さない…叔父上といえど!」


床に放ったままだった短刀は、先に時夜の手の中におさめられた。


「……止めないで下さい!」


短刀を手にした彼は、張り詰めた表情で血にそまった刃を見つめていた。


「……動かないで」


突然、ふわりと笑顔に戻ったかと思うと私に刃が向けられた。


動く暇などなかった。

両腕が浅く切られた。

傷はたいしたことがないのが分かっていたがズキズキとした痛みに襲われ、たまらず座り込んだ。

「何を…?」


時夜はかた膝をつき、私と視線を同じくした。

胸元から一通の書状を取り出して、私の袖へと強引に押し付ける。

「あなたが私に生きろと言った時、とても嬉しかった。

 私はあの時から、辰巳一族…そしてあなたと共に生きたのです。

 ……最後まで、見守れずすみません」

「時夜殿……」

「もしも、来世があるとしたら……

 私はあなたの兄となりましょう。……あなたには頼れる存在が必要なんですよ」


「もはや……もはや来世などと…」


「いいですか?

 北条時夜は乱心の上、辰巳の若頭領を殺害。

 その後、巫女までを傷つけます」



「……時夜殿!」


「そしてそこに偶然居合わせた叔父上殿も殺害後、

 その罪で処刑されます。

 その書状は、北条時盛に乱心の証拠として提出してください。

 私の花押が入っています。これで時盛といえど辰巳一族に害をおよぼすことはできないでしょう」


「時夜……」


私は、ただ両腕の痛みで自分の体を抱いていた。


「では、いざさらば」


腰から太刀が抜かれ、右腕に。

左手には、血に染まった短刀。


私は座り込んだまま、できうる限り、彼の背中を見つめていた。



次回は、次回はデビルバッツメンバー出ます!
あはは。
蛭魔さんが出てこないというか、お兄さんと和華のみという展開でした。
本当は最後の部分書く気なかったのですが、
時夜は兄になりたいって、言ってたんだよ。
そんな設定を思い出して(オイ)入れてみました。



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