第20話




壇上でお決まりの別れの挨拶を口にしながら、彼女はいたって平静だった。

「辰巳センセイって意外と強え」

教壇の横に立ち、照れたように笑う和華を見て、生徒の一人が言った。

彼には、和華が真っ先に泣くようなキャラに見えたのだろう。

本来は無いはずの放課後のHR。教育実習の最後にあたる今日だけは行なわれた。

意外とあっさりと、和華は教育実習期間の感想と礼を述べて、礼をしたが、「泣く」タイミングを与えないためだった。生徒たちにも、自分にも。

しかし、それでも女生徒の中には別れの涙を流す者もおり、和華は嬉しくもあり、つられてしまいそうで怖くもあった。


別れは、連続してやってくる。


友達の友達は友達、その友達の知り合いも友達。

そんな付き合い方の和華だから、とかく別れが多すぎる。

先生方……クラスメイト、それから歴史の授業を受け持った生徒たち、そして顧問をつとめた……。



部活が始まる前に、「お別れの挨拶」をすると、そこに蛭魔の姿は無かった。

「最後までいないんですか?」

名残おしげにセナが言った。

「…泣いちゃいそうだから」

おどけて和華は言ったが、彼女の本音だった。それを隠すように、「それに、まだレポートと提出書類が残ってるの」と言い訳する。


「試合見に行きますから!絶対クリスマスボウル!」

掛け声みたいにそう言って、深々と彼女は頭を下げた。





職員室へと向かう中、和華は、人目を避けるような道を選んだ。

ちょうど校舎の影になっているそこは、夕焼けからも守られて一段と空気がひんやりしているように感じた。

歩みは止めず、けれどその足取りはゆっくりであった。

実習期間中、ずっと駆け足でいた気がする。

今日の日の空を、覚えていようと和華は空を見上げた。


その影から、突然右手を引かれる。


そこには、待ちかまえていたかのように、蛭魔の姿があった。

痛いくらいの力で手首を押さえられたが、和華は軽くかわすように、手首を巻き返し、振りほどいた。


「行くな」

どういう冗談なのだろうと、和華は蛭魔の顔色を窺った。

彼は真顔だった。

「………顧問、やらせていただいてありがとうございました。

 みんなのことは忘れませんし、

…あ、……試合見に行きますね、勿論」

彼の欲しがっている言葉を探して、早口で答えた。

しかし蛭魔の表情が変わることはなく、和華は彼の欲しがる答えは与えられないことを痛感する。

「……冗談でも……そんなこと言っちゃだめです」

辛くて、目を細めて彼女は言った。

自分はもうここにはいれない、最初から決まっていたことだ。


「…これで、終わりだと思うなよ…」

彼らしくないセリフだ、と和華は思った。

だから否定する。

「終わりですよ、全部」




「ふざけんな。テメーには貸しがあるんだよ」

「そうですね」

和華はうつむいて、考えるそぶりだけみせる。


「ありがとう、私の運命の人を見つけてくれて」

彼女自身の持てる、極上の笑みを彼にプレゼントした。

和華が前世で愛した、北条時夜。それが兄であると教えたのは蛭魔である。

皮肉に受け取られてもかまわない、これで終わりだから。和華はそう思っていた。



蛭魔は、黙っていた。

ずいぶん長い間だった気がするが、和華は笑みを絶やさなかった。




「……それが結論か?」

掠れた声がやけに耳に響いて、気持ちが少しだけ揺らいだ。

だから、和華は振り払うように、大きくうなづいて、

もう一度、微笑んだ。

「さよなら」

そして、すぐに彼に背を向けて歩き出す。

今だけは、笑っていられる自信が無かった。

グシャグシャな気持ちそのままが、表情となってしまう、そんな気がしていた。

立つ鳥後をにごさず。

涙もこぼさず。

決して振り返らず。


前世の彼女なら、きっと完璧な表情を作ったのかもしれない、と和華は思った。




実習生同士の最初にして最後の飲み会は、始めはぎこちなかったが、皆すぐに馴染んだ。

和華は盛り上げ役に徹していた。

何かを振り切るように、笑って、飲んで……けれど、きっと心は晴れないことも分かっていた。




二次会をどう断ろうかと、考えながら店を出る。

居酒屋の前の道を挟んで、バイクに跨ったままのユウの姿を見つけた。

和華は彼に向かって走り出しながら、「ごめん、帰る」とか「またメールする」「お疲れ」適当に叫んで、別れた。


「ありがと」

心配して迎えに来てくれたのだろうと理解し、和華は小さく礼を言う。

ユウは無言でヘルメットを渡し、和華も素直に後ろにのった。

一度やたらめったら改造して、今はムリヤリそれを直してあるバイクは、持ち主をあらわしている。それは奇怪な音で走り出した。


和華が遠慮がちに、ユウの細い腰を掴むようにしていると、それが気に入らないのか彼女の腕をぐっと引き寄せた。

完全にユウに体をあずける体勢になり、和華は諦めてヘルメットさえも彼の背中に当てた。


何回目かの信号で、マンションまでの道のりをユウが遠回りをして走らせていることに気づく。

その優しさが、情けなくて、悔しくて、ありがたくて…

ヘルメットの下で、和華は声もあげずに泣いていた。










失恋について、世界の終わりみたいな感覚だったかな〜と思い出していました。
恋ってなんて不条理なんだろうと思います。
努力したってダメな時はダメだし、
お互いが好きでも、上手くいかないこともある。
というわけで、あと2回?お付き合い下さい。


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