その後の二人:その1






なんて罪深い存在なんだろう、私は。

自分の意思とは無関係に進んでいく電車の中で、ふとそんなことを思った。



「それでね、あのお店にあったコートがすっごくかわいかったの」

「コート?

 この前買ったばかりじゃない」


近くで、私と同じ年頃の子が母親らしき人と話していた。

「今度のは白だもん。クリスマスにはやっぱ白いコートじゃなきゃ」

「そうねぇ」

その子の甘えたような声を私は嫌悪した。

「今年流行のだよ。

 今日買ったら、お母さんも同窓会に着ていけるじゃない」

「……仕方ないわね。寄ってみるだけよ」

駅に着いて扉が開き、その親子は腕なんか組んで下りていった。


コートをねだられていた時の母親の表情がなかなか消えてくれなかった。

決して嫌そうではなく、むしろ娘に頼られて嬉しそうだった。


……私は、あんなふうには振舞えない。

母親の顔色を窺いながら、母親を喜ばせることも、私にはできない。


父親が家をあけるようになった時、母は料理を作ることでしか愛情を表すことができず、そして料
理が全て食べられることでしか愛情を感じることができなかった。

中学生の頃。

薄暗い部屋で、3人分のフルコースが帰宅する私を待っていた。


父が帰らない中、毎日泣きながら料理を捨てていた母を見たくなくて、いつしか私は2人分の夕食
を口に入れた。

母のストレスは全て料理を作ることへと向けられていた。

夕食には世界各国の料理が並び、そして料理の量、品数はだんだん増して行き、逆に私の食欲は減
っていった。

それでもムリヤリ胃におさめて、部屋で吐いた。


私は嫌な奴だ……今だって、母親の料理は食べられないだろう。

和華に、そしてユウに出会っていなければ、いまだに食事は点滴でしかなかった。


バッグの振動に気づいて、携帯を開いた。


「32分の電車乗れましたか?」

和華からの確認のメール。

池袋32分発の2両目。

それが今日の待ち合わせ場所だった。


「大丈夫」

と打って、すぐに送信。

そう、大丈夫。


私は、罪深い存在かもしれないけれど、でも、

32分発の電車には乗れた。

「良かったです」


その返信メールに、自分で表情が緩んだのが分かった。




電車の中では本を読むことにしている。

周りに影響されたくないし、音楽では退屈してしまう。

電車を降りるまで、と決めているから集中できる、と自分では思っている。


「ヨーコちゃん」

よく通る声に反応して、私は本から視線をあげた。

声の主である和華は右手を小さく振って、少し段差に気をつけて車両に乗りこむ。


私は人差し指を挟んだまま片手で本を閉じ、空いた左手を軽くあげた。


空間の空気が、一瞬にして和華中心に動く。

舞台に上がった大物女優のようで、乗客たちは顔をあげ、彼女に見とれる。

和華はそんな視線を気にすることはく、ゆったりと歩き、大きな瞳を少し細めて微笑んだ。


「会えてよかったです」


彼女は笑顔を安売りしすぎる。

昨日も会った親友に対してする表情ではない……例えるなら、一年に一度しか会えないという織姫
はこんな笑顔で彦星を出迎えるのではないだろうか。


乗客たちは、老若男女問わずに彼女を一瞬見つめた。

彼女自身が「当たり障りのない表情」として多用している笑顔だった。和華は自身の第一印象をよ
くするための方法を無意識に知っている。営業だけで会社を築き上げた和華の父は、子供たちにも
営業の英才教育をした(らしい)

しかしそれを差し引いても、どうしたって、彼女は人をひきつけるタイプだ。

そのくせ、意外と人嫌いで、一人でしんみりする時間も必要だから、付き合いが浅い者は和華を理
解できない。


「研究室行ってたの?」

「はい、教育実習の報告に」


「終わったんだもんね」

「……やだ。ヨーコちゃんおばさんくさい」


「で、年下のカレシができた……と」

「そんな……ちが……います、たぶん」


むきになって反論するのかと思えば、和華は頼りなげに下を向いてしまった。

「の」の字でも描きそうに頬を染めて、視線のやり場を探している。


私がその金髪の男に会ったのはわずかだったが、今にして思えば、和華の様子はおかしいかった。

和華とは小学校からの付き合いだが、初めて見た表情がいくつもあった。


「月並みに聞くけど、告白したんでしょ?」

「え……。いや、告白というか…

 なんていうか……

 ……好きでいていいという、許可をもらったというか…強制されたというか…」」


しどろもどろに言い訳する彼女が可愛いくて、思わず吹き出す。

「もう!なんで笑うんですか」

「あはは、ごめん。

 ……第一印象ほぼ100%良好を誇る和華が、たかが一人の男でこうも惑わされてるのがおかしくて
…」


彼女は、私だって好きでやってるんじゃないです、とむくれてつぶやいた。


ふと、逆なのかと気づいた。

あの男にだけは、素直にふてくされて、素直にむくれて…きっと何の計算もなしに……。

私の心情を読み取ったのか、和華はつげた。


「……ヨーコちゃんといるときと一緒ですよ」

もし、そうであれば単純に喜ばしい。親友として誇らしい、そう思った。

からかいたくなって、私は続ける。


「……夜の顔も?」

和華は一瞬息をつまらせ、みるみる顔を赤くしていった。

「ヨーコちゃん!」

極度に他人の視線を気にするはず親友は、しかし無意識に車内で声を張り上げていた。






店の扉を開けると、鍋をかきまわしていたユウが助かったとばかりに私を見た。

「ユウ、久しぶりです!」

勢い良く店に入り、例の笑顔でユウに挨拶していった和華の表情がこわばっていった。

店の真ん中のテーブルに見慣れぬ長い脚が放り出され、金色の頭が揺れて首だけ振り返り和華を睨
むように見た。

「ヒ……蛭魔さん!」

どれどれ、コイビトにどんな顔するんだかと注意深く和華を見ていると、驚きの表情から、次に大
きな瞳を少し細めて照れくさそうに笑った。

私に対してはしないその笑顔に、少しだけ嫉妬した。

蛭魔と呼ばれた金髪男は、自分に向けられた極上の笑顔にかまうことなく、ぷいと視線をそらした


「どうしたんですか?

 何かお店に用でも?」

彼女はそう言いながら、テーブルの斜め向かいに腰掛けた。

蛭魔は不機嫌そうにキーボードを叩き、目線だけ和華に向ける。


「ユウ、私の鍋は無事?」

「……あ、ああ。ちゃんと底かき回しといた」

私は持っていたバッグをカウンターへ置き、蛭魔にニヤリと笑いかけた。

この男がうちの店に用などあるはずがない。

和華に用があって、待っていたのだ。私が彼女の来る時間を教えた。

勿論タダではない。

「フフフ……あった?」

「ケケケ…テメーがこんなもの欲しがるとはな」

蛭魔がビニール袋から取り出すものに、一同の視線が注がれる。

南米でよく使われるという香辛料、一体どこで手に入れたのは知らないが私の手に手渡された。

勿論そんなことなど知らない和華は、緊張した面持ちで奇妙な色の瓶の正体を見極めようと凝視し
ている。

「フフフ……ありがと」

「ケケケ…」

もう一つ頼んでいたもの、白い粉の入った透明なビニール袋が私に渡されたとき、和華はとうとう
声を上げた。

「なななな!ヨーコちゃん!

 ダメです!それは人間としてやっちゃダメ!」

「……あら。ただの片栗粉よ」

「へ?」

「切れそうだったから、ついでに」

和華がほっと肩をなでおろすのを横目に見て、私は厨房へと入る。

鍋の煮込み具合を確認し、蛭魔から受け取った香辛料のふたを開けて香りの強さを確認する。

横でユウが不安げに見ているのが分かったが、私は気にせず、勢い良く瓶の3分の1ほどを全部鍋
に放った。

「あ」

驚いたユウが声を漏らす。

彼の戸惑いは当然のことで、特に香りの強い香辛料は味を見ながらそれを調節するのが通例だ。

しかし、味見のできない私にとっては少しずつ入れるのも、どばっと入れるのも最終的な量が同じ
であれば変わりない。

鍋から立ち上る香りが変わったのを確認し、手早く鍋をかき回すと、火を止めた。

「はい、ビーフシチュー出来上がり」



皿に盛り、生クリームと刻んだパセリを上にかける。

3皿。厨房にいたユウの背中を押してテーブルに座らせて、彼らの前にビーフシチューを置いた。

ユウに料理を振舞うのは初めてだった。

私の料理を食べたことのある和華でさえ、最後にいれた奇妙な香辛料が気になるのか緊張した面持
ちでいる。

最初に口をつけたのは、蛭魔だった。

思っていたのとは違い、優雅とも思える仕草で器用にフォークとナイフを使って牛肉を口に運ぶ。

それを見て、和華も、ユウもスプーンを動かし始める。

「う……う、……うまい」

「おいっしぃ〜!」

私が近づくと和華はスプーンに少しだけソースをすくって私に差し出す。

抗わずに口に受け入れると、思い描いたとおりの味が口に広がった、

「……まあまあね」



皿は綺麗にからっぽとなり、彼らのお腹は満たされたようで私は満足していた。

厨房では、代わってユウがデザートの用意をしている。

「ああ、蛭魔さんごはん食べに来たんですね」

「……携帯は見たか、糞チビ女」

「え?」

男というものは、時にものすごく面倒くさい生き物である。

和華はバッグから携帯を出すが、今だ彼女の頭には疑問符が浮かんでいた。

「携帯?……私の番号とかアドレスとか知ってますよね。

 かかって来ますもん」

私は和華の手の中から半ば強引に携帯を取る。

「ヨーコちゃん?」

手早くメールボックス、着信発信履歴を見るが、蛭魔とのやり取りはない。

電話帳の「は」の行を開いて、なんとなくこの男のいわんとしたことが分かった気がした。

……やっぱり男は面倒くさい。

その画面を開いたまま、携帯を和華へと返す。

「な、ななな…何ですかこれ!」

『橋本…長谷川……(省略)…蛭魔、蛭魔、蛭魔、蛭魔、蛭魔……etc』

電話帳のメモリは、いっぱいになっていた。

「……つまりね。分かりやすく575で言うと。

『メールしろ 電話かけて来い お前から』と」

「あ。私、蛭魔さんの番号とか登録してなかったです」

蛭魔が無言で睨みつける気持ちも少し分かったような気がした。


そして、面倒くさい男がもう一人。

「ユウ」

デザート用のいちごを切っていたユウが顔を上げる。

目元は緩んで、いつもの覇気がない。

料理、というお株を奪われしょげていることは一目瞭然だった。

「ガナッシュ食べたい」

「…………」

「私は、ユウの作るものしか食べられないんだからね」

+メロンパンとユウのおばあちゃんの料理もだが、口には出さなかった。







長々と書いて、やっと番号交換だもの。
ははは。
というわけで始まってしまった番外編。
そこそこ続けたいと思ってます。



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