Barにて-後編-


Side Waka




「…凍っちゃう!」

腕時計を見ればあれから2分45秒……怪我人を冷凍庫……かなりの荒行だ。

慌てて冷凍庫に駆け寄り、彼をひきずるように出す。

傷が痛むのか、彼はゆっくりと目は開いた。



当たり前だが、彼の体はかなり冷たくなっていた。

ロックグラスにジンを少し注ぎ、ポットからお湯を入れる。

少し飲んで温度を確認して、彼に手渡す。

一口、慎重に口に含んで飲み下し、安心したようにゆっくりとグラスを煽った。

「……糞アル中女。……俺がいくつに見えんだ?」

「…え?」

そう言われてじっと彼の目を見つめる。

私と同じか年下かもしれない…いえ、そんなことより先ほどと比べて瞳が弱弱しい…

「えへ。ムサシさんの知り合いだから、てっきりオヤジ仲間かと」

「ケケケケ……」

目を閉じたまま低く笑い、…その声は消え入るように小さくなる。

ふと嫌な予感を感じて、振り払うように彼の手を握った。

反応して彼は目を開く。

「…なんだよ…眠ィんだよ」

「寝たらダメです!」

耳元でうるさいくらいに叫ぶが、彼は再び目を閉じた。

頬は青いくらい白い、伏せた長い睫はぴくりともしない。

両手で抱き起こすと、彼の鮮血が私の水色のワンピースに張り付いた。

彼の左耳元に口を近づけると、冷たい頬が触れてゾッとする。

眠らせてはいけない、本能的にそう思った。


「えっとヒルマさん!ヒルマさん!

 ヒルマ……本名は何て言うんですか!」

彼の興味を少しでも得られれば良かった。

「……」

耳元で叫んでいるのに彼の反応はない。

手元にあったジンのボトルを彼の傷口の上で逆さにした。

「……ッ!!」

反射で体がしなり、声にならない彼の悲鳴が聞こえた気がした。

「……糞糞糞糞チビ女!

 テメー殺っ…」

彼の体を抑えつけるように、強く抱きしめる。

冷たい体に私の熱をあげたかった。

「消毒です。消毒したんです。

 ヒルマさん。しりとり!

 ……しりとりしましょう。ね?

 最初は『り』」

強引な話題のすり替えだったが、意外な言葉が耳元でつぶやかれた。

「……流血」

「つ?……痛快!

 愉快痛快なんちゃって…あはは。」

「生き埋め」

「め?……明鏡止水

……って何か怖い単語やめて下さいよ」

「……テメーが甘いんだよ…

 …い……インターセプト」

「え、英語?英語は反則ですよ」


耳元で囁かれる彼の声は、強さはなかったけれどしっかりと発音されていた。

「ヒルマさん。……私の血あげますから。

 だから、大丈夫です」

抱きしめる腕に力をこめると、その手に固いものが当たった。

「?……」

疑問に思って少し離れると、彼は左腕だけを器用に背中に伸ばした。

左手はそのまま私の手に重ねられた。

「…な、なんですか?これ」

「……俺が死んだら、それを警察に送り届けろ」

自分の手のひらを開いて見てみれば、SDカードのようなものがあった。

「……死んだら…ってそんな」

「いいか?匿名でだぞ。消印も指紋も気をつけろ。

 お前自身が絶対に特定されるな」

「だから…なんですか!」

「……ムサシには言うな。

 お前も絶対に中を見るな」


こんなシーンを見たことがある……いえ、経験したことがある。

血まみれの誰かと、私。

完璧な指示。彼の死をもって守られた私……たち。



「…大事な、ものなんですね」

彼はうなづかなかった。



「ヒルマさん」

声をかけて、目が合う。

彼の視線を感じながら、私はそのカードを右手のひらに持って…



「…!!!」

飲み込んで見せた。



「私……ずっと男の子になりたいと思ってた。

 でも大嫌い。

 男の人っていつも、自分だけ納得して

 逝ってしまうんだもの」




「私は、言うことを聞きませんから!

 胃の中で解ける前に、早く元気になって、

 鳩尾に一発、吐かせてください」


激怒するのか、呆れるのか……彼の反応を待っていた。

視線をそらした彼は、「ケケケ」と力なく笑って……目を閉じた。


「…ヒルマさん!ヒルマさん!」


乱暴に裏口が開く音がして、ムサシさんが叫びながら来た。


「ヒル魔!」

扉の外で、車のエンジン音が静かにうなっていた。





Side Hiruma




「ダメ!絶対ダメ!

 いいですか?別に赤になってもいいやって思ったら、信号は赤になっちゃうんです。

 死んでもいい、なんて絶対だめですからね!」

……うるさい。

「エライ人も言ってます。

 『元気があれば何でもできる』……あ、今ちょっと似てましたよね?ね?」

……うるせぇ……似てねぇよ。

「……おい。少し静かにしたらどうだ?」

……ムサシ?

「イヤです。

 静かにしてたら……死んじゃうんだもの。

 ……私が一番大切に思う人は…そうやって…」

段々と消え入りそうな声になっていく。

これで少しはおとなしくなったか…そう思った。

「さ。気を取り直して!

 意識不明の重病人も目を覚ますこと必至!

 辰巳和華の!ギャグ100連発〜!」

……ウルセェ!


「……100……も聞けるか」

自分でも驚いたことに、かすれながらでも声が出た。

ひどく眠かったが、なんとか重いまぶたを開く。

「ヒルマ……」

見慣れた糞ジジイの面…ああ、顔をあわせるのは久しぶりだな。

まさかこんな形で再会するとは思ってなかったが……。

「ヒルマさん……」

さっきまで耳元で叫んでいた声の主だな……。

視線を合わせると、見開いた目に大粒の涙がたまっていく。

「……もう、だ、大丈夫なんですよね?」

涙を隠すように視線をはずし、部屋の隅にいた背の高い痩せた男がうなづく。

白衣を着ていて緊張感のない笑みを浮かべているが…どうやらコイツが医者のようだ。

「…後は『安静』にさせてやれば…」

苦笑しながら「安静」を強調して言う………どうやら俺は安静にさせてもらえなかったようだ。

「良かった……」

もっとも、当の本人はどこ吹く風のようだが……。

気づかれないように、左手を動かす……ぎこちなかったが動く。

肝心の右……上手く力は入らなかったが、指は動いた。

なんてことねぇ……まだ俺はやれる。

「……和華さんも素早い対応でしたね」

「えへへ。途中、ちょっとテンパっちゃいましたけど」

「自分の時もあのくらいの素早さが欲しいですね?」

「…………は、……すいません」

「先に謝られては困ります。

 いいですか?ヤバイと思ったら即電話。

 そうすればこの部屋があなた専用になることもないんです」

困ったように視線をちらつかせていた彼女が、助けを求めるように俺を見た。

「……ヒ、ヒルマさん。私専用だから元気になるまでいくらでもいてください」

「話をそらさない……まあ、いいです」

諦めたようにつぶやくと、俺の方にに向き直る。

「あなたの事情は今は聞きません。

 元気になるまで、この部屋は使ってくださって結構です。

 ただ、うちは健全な小児科ですから。うるさいのは勘弁してくださいね」

「……由さん、ありがとうございます」

俺が何か言う前に、彼女が礼を言って頭を下げる。

「じゃ、年寄りは寝ます」

どうみても30そこそこ男は、わざとらしい欠伸をしながら背を向けた。

「あ、隣の部屋にいますから。何かあったら叫んでくださいね」

全く緊張感を感じさせない、ひょろひょろとした男は去っていった。

さて、もう一人。……人払いをと考えていると、先に女が口を開く。

「あ、ムサシさん!」

「?」

「……血だらけの冷凍庫…マスターが見たら」

「…………確実にクビだな。

 悪ぃちょっと行って来る」

彼女は笑顔で手を振った。

「ヒルマ……ここにいろよ?動くな」

念を押すと、ものすごい勢いで部屋から飛び出していった。




ムサシの姿が消えると、彼女が切り出すのを待った。

「あの……」

じれったいやり取りがイヤになって彼女に右手を差し出す。

「カード」

「…………いえ、それがですね…」

「下手くそな手品なんか見せんじゃねぇ」

「…!!」

顔を真っ赤にした彼女は、口をとがらせた。

「……結婚式では大ウケだったもん」

おそらくずっと握り締めていたのだろう。

恥ずかしそうに右手を開き、小さなカードを見せ…しかし、それを高く掲げた。

「……ダメです。

やっぱり、元気になるまで返せません」

素早く俺から離れると、彼女は左右をキョロキョロ見回して、何か思いついたように不敵に笑った。

「これは預かっておきます。

 取れるものなら取って下さ〜い」

ワンピースの胸元に手を入れると、おそらく下着の中にしまいこんだ。

それで俺が手を出せなくなると踏んだのだろうが…。

「…ケケケ…

 とっていいんだな?」

耳まで赤くした彼女は、両手で胸元を押さえた。

「!

 え?……あ、しまう場所は変わる可能性が…」

「あぁ?

 聞こえねぇな〜」

「どこかに置くかもしれないし!

 ほら!金庫とか!貯金箱とか!

 ……そうです!貯金箱におきますから!貯金箱ですよ!」

「……ケケケ」

俺は答えずに、低く笑った。

「もう………安静にしてください!」

騒いでいた彼女は、注射器を点滴がつながっている管へと押し込んだ。

「眠くなりますから。……ゆっくり休んでくださいね」

体のだるさに身を任せると、自然とまぶたが下りた。

「…………良かった。あったかい」

小さな柔らかい手が俺の手に重なった。


蛭魔さんをたくさん書くつもりが、
書いたつもりが…
ほとんど意識を失っているという……。

書き直しの連続で、相当設定も変わって、
由先生とか出番考えてなかったのに。

相変わらず情景描写をはぶきすぎでスイマセン。
難しいなぁぁ。

ちょっとでも、伝わっているといいなぁ。



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