Bar Musasi 2
(ああ、もうどうして私ってこうなんだろう)
お兄さんがくれたタオルにも、替えの服にも、ろくにお礼が言えていない。
「茶くらいしかねぇが、暖かい方がいいだろ?」
木で出来ているカウンターを凝視しながら、私はうなづいた。
木目模様はすでに絵にかけそうなくらい、見続けている。
「……マグカップなんてねぇから、我慢しろよ」
目の前に出されたのは、透明なタンブラーで、小さな茶葉の破片まで良く見えた。
私の視線の行く先も、今度はそのお茶になる。
彼がこちらを見ていないことを、ちらりと確認して、両手をタンブラーに添える。
(あったかい……)
涙が出そうだった。
自分がイヤで我慢できなくて、逃げ出して……
事情も全然知らないお兄さんが、こうやって温かいお茶を入れてくれて。
「……ごめんなさい」
自分の口から漏れた声におどろいて、思わず顔を上げた。
すると、初めてお兄さんと目が合った。
太い眉にくっきりとした目からは強い意志が感じられて、黒くて短い髪は少し乱雑な気がしたけど嫌いじゃなかった。
白いワイシャツの外からでも分かる、がっしりした体つきや、あんまりバーテンダーっぽくないところも、嫌いじゃない。
「しゃべれるんじゃねーか」
薄い唇が微笑んで、私は恥ずかしくてやっぱり視線をそらしてしまった。
自分の頭に右手を当てる。
乾いてきたショートヘアは、ぱさぱさで見るも無残に違いない。
きっと無駄だろうけど、手櫛でなでつけてみる。
「……名前は?」
テレパシーがあれば、どんなに便利だろうといつも思う。
「…サ…ヤ」
私の名前はサヤ。年は18で、良く間違えられるけど女です。
初めて会ったのに、良くしてくれてありがとうございました。とても助かりました。
たいしたことはできませんが、今度、何かお礼をさせて下さい。
あなたの名前は何ですか?
「そうか。……俺はムサシだ」
まさかテレパシーが通じたのかと、私は顔を上げた。
「ん?」
しかし彼の顔には疑問符が浮かんでいて、すぐにそうではなかったと思い知らされる。
彼は自分の頬に手をあて、少し考えるそぶりをした。
少し拗ねたみたいに彼は言う。
「……言っとくが、これでも18だぞ」
「え……」
顔をぽりぽりと書きながら、失礼なとばかりに私を見た。
私は口を開くけど、やっぱり声が出そうに無くて、必死に人差し指を彼と自分の間を行き来させた。
「?……
…………って、お前も18?」
失礼な、とばかりに私も彼を見る。…お返しだ。
「……俺はてっきり……いや、悪かった悪かった」
彼は笑ってそう言う、あんまりすまなそうじゃないけれど楽しそうだった。
いつの間にか彼と目があっていて、あんまり不自然にならないように視線を手元のお茶に移す。
ゆっくりすするくらいの余裕は出てきた。
私の座っているカウンターテーブルはこげ茶色の木製で、おそらく年月とともに角は丸みを帯びて、ほどよくツヤが生まれたのだろう。
彼の立つ背後には、無数のお酒の瓶が並んでいた。
照明はオレンジみたいな暖かい色が、光を落としぎみで店内を照らしている。
映画に出てきそうだと思った。
ヨーロッパの古い町並みに、一軒のバー。
若い恋人がそこで待ち合わせて……
「……!!」
自分の考えを読み取られたかのように、あの映画のあの場面の曲が始まった。
「な、なんだ?どうした?」
すごい勢いで立ち上がった私に、彼が疑問の声をあげる。
「…あ、」
なんと伝えればいいのか分からない。
いつもならそこでコトバが絶たれてしまうけれど、今回はそうさせるわけにはいかない。
「……この、曲……」
「ん?……ああ、お前さんもそういうのが好きなクチか?」
彼は背中を向けると、カウンターの中でしゃがみこんだ。
どうやらそこにオーディオ機器があるらしい。
店内にスピーカーは全部で6つ。
形と音のダブリのなさから、たぶんFOXBER、スピーカー1つで150万円くらいはするはずだ。
「うちのマスターがやたら音楽が好きでな。
俺がバイトに入る時は、必ず流すBGMが指定されてる」
彼はそういって、空のCDケースを渡した。
ああ、そう!
曲名、思い出した。
もう帰っては来ないだろう恋人に、しっとりと未練を歌い上げている曲で、映画の恋人たちの場面と一見アンバランスだ。
けれどあの曲が、幸せな二人が今後どうなっていくのかとストーリーに深みを与えている。
視線を感じてCDケースから顔を上げると、再び彼と目があった。
「……ほんとに興味あるみたいだな」
「う、うん。」
「うちのマスターと話が合うんじゃねえか?
また今度来いよ」
サビの部分が流れている。去っていった恋人に、WHERE ARE YOU TONIGHT?と問いかけている。
「…………」
マスター?……あなたは?
私はあなたに、また会いたいです。
「…俺は月火と木曜の7時から。それ以外はマスターがいるぜ」
「!」
思いがけず聞きたい事が聞けて、私は分かったとばかりにうなづいた。
来ます、また来ます。あなたのいる時間に。
「……お前さん、腹は?」
「…………す」
答えることを放棄して、私がこくこくとうなづくと、彼はうれしそうに笑う。
私の目の前に、お皿に乗ったおにぎりが差し出された。
それはバーの雰囲気とあまりに不似合いで、……彼にはとてもおにぎりが似合うけれど……私は彼と皿とを交互に見やった。
「……ああ、俺が作った。
特別な客にしか出さないとっておきだ」
とくべつ?……とっておき?
彼のコトバには、言葉以上のステキな響きがあった。
「ほら。遠慮しないで食え。
……誰か他の客に見られたら困るからな」
「……!」
慌てて私はおにぎりをほうばった。
彼が作ったおにぎりは、私の両手からはみ出して大きかった。
彼の手の大きさなのかもしれない……そう思うと顔が熱くなる。
「…む……ぐっ……ぐぐ」
「んな慌てんなって……」
急いでお茶で流し込む……せっかくのおにぎりなのに、味も何もあったものじゃない。
もう、私はやっぱり最悪だ。
頭がうなだれるままにまかせようとすると、頭上から低い笑い声。
「くく……面白いな、お前」
自分がいやで、逃げ出して。逃げた自分もイヤになって……
けれど、今日こうしてあなたに会えて、あなたが笑ってくれるから。
私は、また前に進めそうな気がした。
大丈夫か?サヤ。相手は客商売なだけかもしれないぞ!
ものすごく口ベタな彼女が、拒否されなかったことが嬉しくて、
そして彼に惹かれていったのかなと思ってます。思いのほか長くなりました。
|