教員採用試験の合格率を改めて目の当たりにして、和華は守りに入っていた。
「私も何かお手伝いしたいですっ」 そう、兄に言ったのが三日前。 教育実習を終え、一層教師になりたいという思いを強めていた辰巳和華だったが、その思いと比例して、教師となる難しさを痛感していた。 教職浪人…そういう言葉も頭をよぎる。 一方、不器用な彼女には就職活動も平行してやる自信はなかった。 そんな折、以前兄が言った言葉を思い出した。 (そうだ!もし、私がやりたいなら、会社手伝ってもいいって…… ということは、就職活動はしなくていい?) 万が一の時は、兄に職を頼むとして、……いえいえ、今のうちに慣れておけばと、滑り止めの私立のように軽く考えていたのだったが…。 和華のそういう腹も、兄にはバレバレだったようだ。 「ななな。なんでいきなりお見合いとかいう話になるんですか!」 写真と、そこに添えられた詳細なプロフィールを見るなり和華は叫んだ。 「ああ。会社を手伝いたいって言ってただろ?」 「……はい、それは言いましたけど。 こういうことではなくて、事務とか経理とか…」 「ははは。 資格もないまるっきりド新人ができることなんて、あると思うかい?」 「……パ、パ…パソコンできます!」 「エクセルも使えないのに何を言ってる…」 「だからって、なんでお見合いなんですか!」 「お見合いだなんて、堅苦しいことじゃあないさ。 ただ、和華が彼と良い関係が築ければうちにとってもプラスになるんだよね。 それに、これ以上に和華が社に貢献できることはないよ」 そういうことか…と和華は頭を抱えた。 自分から言い出した以上、ここで引くことはできない。 そして兄の性格からして、万全の態勢をととのえているに違いない。 ちら、とプロフィールを見る。 年齢25。W大出身、父は評論家。身長、体重云々……。つぶれかけていた老舗料亭を再建したことから始まり、その従来の外食産業にはない新 しい手法が注目される。その後は打って変わって堅実な経営を続けている。 非の打ち所などなかった。 「というわけで、来週の日曜日。 場所は先方にまかせるということで。いいね?」 精一杯の抵抗をしておかねばならない。 和華は一つだけ条件を言った。 「コンピュータ持参でいいですか!」 そして、秋晴れの某日。 黒塗りのハイヤーでも来たら嫌味の一つも言おう!とできもしないことを和華が考えていたのはともかく、彼女を迎えに来たのはシト○エン。 スポーティだけど細すぎず、すごくシンプルだけれどライトの形などにこだわりを感じて一目で和華は気に入った。 助手席から出てきたその男は、25という年よりは大人びて感じられたが、はにかむように笑う姿は同年代として受け入れられた。 「はじめまして」 人間は、初対面の者に対して警戒する距離感がある。 飛び込み営業の鬼と呼ばれた、父から習った通り、和華は3mのところで声をかけ、相手との距離を慎重に測り、2mほどで微笑みかけ、害のない ことを相手に伝える。 そして、相手の表情を窺いつつ、こちらを受け入れることを理解すると友好の証として右手を差し出す。 ここまで無意識でやっておいて、和華はすっかり兄の術中にはまっているのではないかと冷や汗をかいた。 「辰巳和華さんですね? こちらこそ初めまして、仁藤秋です」 「えっと…すいません。 …お話していた通り、コンピュータがもう少しで来ると思うんですが…」 申し訳なさそうに和華がくるくると周りに視線をやると、ゆっくりとこちらに向かってくる人物が目に入った。 「蛭魔さん!おそい」 しかし急ぐわけでもなく、彼はいつもの不敵な笑みを浮かべている。 さて、仁藤という男はどういう反応をするのかと和華が盗み見ると、仁藤は当然、蛭魔の風体に体を一瞬こわばらせ、しかし次の瞬間には珍しい美 術品を見つけたかのように目を輝かせて笑った。 「はじめまして」 蛭魔にも臆することなく右手を差し出し、そして蛭魔はあっさりとそれを無視した。 和華だけがまた、冷や汗をかいていた。 「競馬なんて初めてだから、彼に手伝ってもらおうと思って」 和華がコンピュータ持参の言い訳を述べると、仁藤は気にする様子もなく、うんうんとうなづいていた。 (気にしてるの、私だけみたいじゃないですか) 顔には出さずにこっそりと和華は思う。 「実は私も実際に目でみるのは始めてなんです」 「…え?そうなんですか? お父さまはお好きなんですよね」 「そう、馬のこととなったら熱く語るんですよ」 彼がやけにあっさりと心情を語ったので、和華は声を出して笑った。 「それにどうも反発してしまって、今日まで機会が無かったんです」 レースの中でも目玉である、G1が開催される今日は、競馬場周辺も渋滞していた。 車がすっかり動かなくなったところで、仁藤は「すみませんが、後よろしく」と運転手に声をかけると素早く助手席からおり、和華の方のドアを開け た。 「3分ほど歩いていただけますか?」 いたずらっぽく言うと、和華が車を降りるのに手を貸した。 彼女は「蛭魔さんは?」と言いかけたが、すでに車から降りていたかれは、競馬場に向かって先頭きって歩き始めていた。 仁藤は和華の斜め二歩前ほどを歩き、更に車道側を歩くという完璧なエスコートをすんなりこなしている。 (…………あああ、敵はてごわいですよ?蛭魔さん) 前を行く金髪の人に遅れをとるまいと、和華は少し歩を早めた。 「おおおお。意外と綺麗〜」 吹き抜けのようになっている入り口は、中年男性でごったがいしていた。 「こっちです」 人々の群れが向かうのとは違う方に案内され、素直に和華と蛭魔がついていく。 途中、蛭魔が警備員の目に留まったが、彼が手帳を取り出して二言三言述べると、もう彼を引き止める者はいなかった 前を行く仁藤はそれすら気にする様子はない。よっぽど大物なのかしら、と和華は首をかしげる。 (身内にこういう人がいるとか?) ピアスが揺れて金属音を鳴らし、ふいに振り向いた蛭魔と目が合う。 こんな人が世に二人もいたら…そんな思い付きを振り払うように和華は目をそらした。 一段と警備員が増えた場所で、仁藤は内ポケットからさっとカードを取りだした。 いわゆるVIP、馬主だけにしか認められていない専用の観覧席。 まず、コース全体が見渡される大きなガラスが目に入る。また、大画面のTVが何台もあり、他の競馬場で行なわれるレース中継やオッズなども伝 えていた。 「4Rが終わったばかりみたいですね。 何か飲み物持って来ますね? 何がいいですか?」 「あ、ありがとうございます。 じゃあ、ホットコーヒ…うげっ!」 蛭魔に横からつま先を踏まれ、和華は呻いた。 彼と視線が合うと「何ネコかぶってんだ糞アマ」と言いたがっているのが分かった。 「…………いいんです、コーヒー下さい!」 負けじと彼女も「いわば、これもお仕事なんです!」と目で言い返す。 「蛭魔くんは何を飲みますか?」 仁藤にとって蛭魔はかなり年下にもかかわらず、彼の話し方は和華に対するものとなんら変わらなかった。丁寧すぎもしないし、押し付けがましくも ない。受けての本音をさらっと聞きだしそうだと、和華は思う。 (見習いたいな) こっそりと仁藤を観察しようとすると、彼がうろたえているのが目に入った。 「あれ?蛭魔くんは?」 すでに席を陣取り、ノートパソコンを開いた蛭魔は、何台ものTV画面に見入ってた。 「すいません、私のコンピュータ暴走ぎみなんです……」 左手に3人分の飲み物、右手にはビュッフェを適当に盛った皿を持ち、和華は二人のもとに戻った。 「ありがとうございます、すいません持ってきてもらってしまって」 「いえ、私こういうのは得意なんです」 洋食屋さんでバイトしてるんで、と和華は付け加えると仁藤は嬉しそうに笑う。 「ぼくも学生時代、デニー○でバイトしてました」 驚かされたのは和華だった。有名料亭をはじめ、飲食店を何店舗も経営している彼がデニー○でバイトなんてしている姿が浮かばなかったのだ。 「…最初はお皿とかグラスとか全然持てなくて……」 「そうそう、私も苦労しました。 ていうか今でもお皿は3枚しか持てないですっ」 「……ほう。私は5枚もてますよ?」 「えええ。手、何本あるんですか?」 傾けていたコーヒーカップをテーブルに置き、立ち上がった仁藤は、蛭魔の操るパソコンの画面を覗き込んだ。 また何か無礼なことをするのではないかと、和華は不安だったが、仁藤が覗き込むのにもかまわず、彼はおとなしくキーを叩いている。 「地方競馬まで買ってるんですか?」 仁藤は感嘆し、いつの間に手に入れたのか、蛭魔の横に積み上がった何紙もの新聞、雑誌を手に取る。 「ものすごい情報量ですね。これを全部?」 「ケケケ……この程度、なんでもねぇ」 「ここにある画面だけだって把握するのは容易じゃない…… 蛭魔くん株とか得意なんじゃない?」 ……高校生にする質問ではないと思うが、どうやら男同士盛り上がっているようなので和華は黙っていた。 「……株ねえ」 仁藤は振り返って、和華に語る。 「いやあ、株は奥が深くてね。 リアルタイムで流れるたくさんのニュース、その中からほんのわずかな有益な情報をつかみ取る能力が重要なんだ」 そうなんですか、と和華があいづちを打っていると、前で座っていた蛭魔の口元が何か企みを思いついたようにニヤリとあがる。 嫌な寒気がした和華は、蛭魔を止めようとしたが、仁藤が再び口を開くのでそちらに神経をさかれる。 「……ボクは全然ダメでね、その辺は友人にまかせっぱなしなんだ」 「上場するってことは名誉なことと同時に大変なことなんですね」 「……ほぉ…5700円台か。新参者にしてはやるな」 「……は?……うちですか? ありがとうございます」 和華が慌ててパソコンを覗き込むと、そこには折れ線グラフが描かれていた。 紛れもなく、仁藤の会社の株価の値だった。 5725円付近を彷徨っていたその線は、突然仁藤の目の前で下降し始め、その下降とともに仁藤の顔も青ざめていく。 「な、な……!」 「ひ、蛭魔さん!」 「お〜。5002円。 買いだな」 蛭魔は素早く0を連打して、エンターキーを押す。その音は心地よくさえあった。 彼が多量の株を買ったことでグラフが少し上昇し、5200円台まで回復する。 「蛭魔さん!な、何したんですか!」 「軍資金の調達だ…… まあ、慌てんな糞チビ女。」 5200円台を彷徨っていた株価は、次の瞬間6000円台まで跳ね上がった。 「な……!」 青くなっていた仁藤の顔があまりの驚きで歪む。 「よし、売りだな」 株価が頂点に上り詰めようとしたところで、蛭魔はまたキーボードを叩く。 「……?ど、どういうことですか?」 口がきけないでいる仁藤に代わって和華が尋ねると、蛭魔は不敵に笑いながらもいくつか開いていたウインドウのうちの一つを指差した。 「なになに? 『……○○会社代表取締役はデニー○吉祥○駅前店でバイトしてた』 こ、これ蛭魔さんが書き込みしたんですか? ……えっとこっちは…… 『○○会社イケメン社長と非上場企業幹部との密会』 ってこれ仁藤さんとうちの兄さんじゃないですか!」 「……ああ、それでこんなに株価が変動したのか」 呼吸を整えていた仁藤がつぶやく。 「もう!蛭魔さん!」 「糞ホスト、情報は選別して掴み取るだけじゃねえ。 こっちから探して情報を読むっつう手にも気づけ!」 「……!」 蛭魔がぴしゃりと言い放ったが、和華はもはや彼の無礼さは気にならなかった。 生気に満ちた瞳、髪の金色は潔くさえ感じられ、ふくらはぎから脚はまっすぐ伸ばされ、蛭魔の全身は自信に満ち溢れていた。 和華は思う。(ああ、蛭魔さん……) 「……か、かっこいい」 和華は思わず口を押さえたが、その言葉は彼女が発したものではなかった。 「かっこいいよ、蛭魔くん! いや、ボク反省するよ。自分の自社株にもっと責任を持たないといけないね」 (……ボク?さっきまで「私」って言ってたよね?)和華は視線をそらして顔をゆがめた。 「株のことは、全て友人にまかせっきりだったけど、今後はやめるよ。 ……ところで、蛭魔くんは今後うちの株式に関わる気はない?」 (……え?人に任せるのはやめるって……蛭魔さんに託す気満々じゃないですか!) 「ケケケ……さあどうしようかなぁ」 含みを持たせた蛭魔の返事が気に入らなくて、和華は彼を睨んだ。 その視線に怯むことなく彼はニヤリと笑う。 ココで一つ、和華は気づいた。 今回のこの奇妙な3人の集まりは、始まりは確かに1対1+1の構図であった。 おこがましくも、和華は多少夢を見ていた。蛭魔と仁藤が自分のために争うこともあるのではないか、と。 しかし、現在取り合う対象となっているのは蛭魔妖一その人である。 勿論一番、形成の逆転を楽しんでいるのも彼だ。 「ああ、辰巳家と契約しているんですか? コンピューターって言ってましたものね。 まさに蛭魔君はSPコンピューターだ」 (……本気で口説いてる…というのでしょうね、これは) 冷めた目で見ていた和華だが、どこか嫉妬の炎がゆらめくのを感じていた。 それも見透かしたように、蛭魔はまた意味ありげに笑う。 おもむろに彼は空いたグラスを手に持つ。 「あ、またコーラでいいかい? ボクがとってくるよ」 はじめに見せていたゆったりとした優雅な振る舞いとはかけ離れ、仁藤は全速力でコーラを取りに走った。 「もう!知りません! 二人で仲良くしてください!」 和華はそう言い放つと、早足で馬主専用席を後にした。 振り返ることはなかったが、蛭魔から完全に離れた場所でつぶやく。 「……また、蛭魔さんに負けました……」
長々とくだらないものを失礼いたしました。
オチは当初から予定通りですが
株は突発的な思いつき。
株も競馬の馬主席もふぃくしょんでございます。
競馬は指定席しかいったことありません。
思いのほか競馬関係が語れなかったので、おまけやりたいとおもいます。
つーかHPみずらいですねぇ。
新しくしたいんですが、今年はもう新しいことやるのやめます。
ろくな結果にならない気がするので。
来年、考えたいと思います。
つーか今週のJP見ました?
↑唐突すぎ。(笑)
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